入学前読後レポート(3)

学生たちこんなことしてます! 2010/02/03

すぐれた入学前レポートを掲載します。青字は引用、赤字は訂正とコメントです。

『怪談 民俗学の立場から』
Y.I
(1)妖怪とは・・・民間信仰を基盤とした畏怖の対象だが、錯覚や幻覚・想像によって具象化され、また話だけのものも多い。
「話だけ」とあるが、否定的でなくここを考えること。詳しくは小松和彦『妖怪文化入門』を読んでいただきたいが、妖怪は「語りの中に生きている」のです。
(2)妖怪は以下の10種に分類されている。
山童・天狗・山姥などの山の怪。野衾・見越入道など道の怪。木心坊などの木の怪
木に宿る怪。河童など水の怪。海坊主・船幽霊・磯女など海の怪。雪女・一本足など雪の怪。座敷童子・一目小僧など家の怪。狐火など火の怪。天狗倒し・小豆洗いなど音の怪。猫叉・鎌鼬・野槌など動物の怪。などと日本民俗事典では記述されている。
「日本民俗事典」という書名だけでなく、著者名、出版社名など詳しい書誌情報を必ず付しておくこと。
Ⅰ『幽霊・妖怪の登場』
Ⅰ‐1 怪談はなぜもてはやされるか
(1)怪談物のできあがり方
ここで著者は怪談物のできあがる過程を述べている。物理的に考えればありえないものを、リアルに描き出そうとするには、「近代感覚・知識などとの矛盾を克服して、なおその出現の必然性を納得させなければならないのだから、どうしても、誇張されてくるわけである。劇作者なりシナリオ・ライターたちは、いや応なしに強調していく。そこで、双方が力を貸しあって、ものすごい、おそろしい一方の、いわゆる怪談物ができあがっていくことになる」(P12)と著している。つまり、いかに怖い怪談話をできあがらせるには、並大抵(「の」、を取って「でない」とする)の努力が必要であり、様々な矛盾を克服しなければならない。

Ⅰ‐2 怪談の主人公たち
(1) 幽霊と妖怪の違い
 まず、幽霊は「人間の死んだ人の魂・なにか、この世に伝えたいことがあるために出てくる」(P16)と著している。そして幽霊は、ある一定の場所に固定されず、空間を超越するのが特色である。他にも、幽霊は飛行性に優れていて、瞬時にして何百キロでも飛行で(き)るため、大阪の幽霊が東京へ出ることができ、九州の幽霊が北海道へ出ることも、決して意外なことではない。
しかし、幽霊とは反対に妖怪の方は、特定の場所に出現する。また、妖怪は幽霊と同様に飛行性が優れてるとはいえなく、四方八方と移動しない。そして、季節変化によって現れる妖怪もいる。「和歌山県の雪の降る時にあらわれる雪女郎や青森県でミゾレの降る晩に甘酒を売り歩くまぼろしの甘酒婆なども、季節による日本の妖怪であろう」(P20)と記述してある。

Ⅱ『幽霊の歴史性』
Ⅱ‐3 幽霊の実態
(1)人魂の色・形・種類
 人魂、人玉の名称は、ヒトダマ、ヒダマ、ヒノタマなどが標準語のようになっているがタマセとよんでいる例もある。そしてその色は、青白い、黄色い、赤いというのが大部分。形は円形、楕円形、杓子型が圧倒的。その多くは、尾をひいて中空をとぶといっている。またその種類には、「老人の魂は上空を、中年のは中空を、子供のは地上二〇メートルぐらいの高さをフワフワととんで行くとか、老人のはユックリととぶが若者のは通った跡に指の太さぐらいの筋が残る」(P61)といった区別をいう地方もある。さらに、その発現の形としては、つぎのような例がみられる。丸い形のものが三個同時にとんだ(三重県)埋葬された当夜、墓地に現われ、しばらく木の枝にとまってやがてとび去る(三重県)墓地にいるものと、空中を飛行するものと、地面をころがり歩く三種がある(石川県羽咋郡)。また、死ぬと同時に、藪の中から、屋根の下から、窓から……と、いずれにしても、死者もしくは生身の人間の身辺、ほど近いあたりから遊離していくものと信じられている。

(2)幽霊の現われかた
 幽霊が現われる時は、大部分、例の丑満刻、実見者もほとんどは、幽霊の方がめざして来るべき因縁にある一人、もしくは同席した近親者だけ見ることができるという。幽霊が現われる理由として、圧倒的に多いのは、「やはり幼い子供を残して死んだ母親、物心いずれかの虐待をうけて死んだホトケ、恋しい人を残して先立った霊」(P64)などである。幽霊となるためには、ある程度の時間が必要であるらしい。人魂、火の玉は間もなく蝶や蛙、小虫などさらに具体的な動物に姿を変え、やがて死の忌明きとともに〝行くところへ行きつくもの〟と、〝行くべきところへ行けないもの〟との二種に分けられ、ここではじめて幽霊と、ホトケ、精霊さまの性格が成立するもののようである。

Ⅲ『妖怪変化百態』
Ⅲ‐4 遊泳自在の妖怪
(1)海の妖怪
 海のバケモノは、海上および海中、海辺に分けることができる。海の怪談、バケモノというと、人魚、海坊主のたぐいをすぐに連想するのだが、実際に日本の漁村を歩いて「海の不思議」を聞いてみると、人魚の話などはあまりでてこないで、海で遭難した人間の浮かばれない魂に関するものが、圧倒的に多い。書物を愛し珍らしい変わった話を好む都会人の要求と、実際に海に生きる人びとの経験談との間には、すでにかなりのへだたりができていることがわかるのである。

Ⅳ『神がみの零落と霊魂信仰
Ⅳ‐1 あの世とこの世と
(1)天国への階段
 あの世を見ることができた幸福な人びとは、日本全国ではずいぶんとたくさんいるに違いないが、それでは、あの世へ次第次第に近づいて行ったと語られる魂はいったい、われわれの肉体からどのような経路をたどって、行くのであろうか。魂が肉体から遊離してゆく臨終から死の直前、直後に行われるタマヨバイという方法がある。魂よばいの作法にも、地方によっていくらかずつのちがいはあるが、ともかくも最期の息を引きとるとき、心臓がとまると同時に、魂が肉体から抜けてゆくと信じるのが合理的な解釈だから、この時に魂が遠くへ行ってしまわないうちに呼びもどして、もう一度、肉体の中に入れれば生き返ると信じるのは道理である。それだから魂よばいをする地方ではなくても病人が臨終になると、魂よばいということを、いまではもう意識はしないけれども近親者はしきりに大きな声で、その人の名前をよぶのである。そうして、そういう手段をこうじてなお、「生き返らない場合にはじめて魂の遊離してしまったこと、すなわち「不帰の客」」(P142)となったことが確認されるのである。
死者が行く他界について書かれており、他界と幽霊、妖怪などが深い関わりがあることを読み取ってほしい。
Ⅴ『怪談は生きている』
Ⅴ‐1 現代人と怪談
(1)死んでも魂はあると思うか
死んでも魂があると回答した肯定的な人は五〇%にもみたない。だが、ここにも数字上の魔術といおうか、このような調査と実際の喰いちがいが認められる。それはたとえば、われわれの間の葬制の例を考えてみても、死後の魂の存在を信じないものならば、なぜ、ていちょうな葬いを行い、死水でホトケの唇をぬらし、死装束をつけさせ、枕飯をそなえるのであろうか。日本人が死後の魂の存在を信じている例はあるわけだが、さてあなたはと問うと、〝ある〟と明確に答える人は二二・三%〝あるかもしれませんねえ〟と答える人を加えても四〇%そこそこというわけである。〝そもそも人間というもの、もしくは鳥、けもの、生物などには、無形の魂なるものが存在するものなりや、いやな〟といった観念的な態度をとったのではあるまいか。そして〝たとえ存在するとしたところで、どんな実験機械によって物理的に確認するのか〟と、疑問をだし〝形のないもの、正体を手でつかみ、さわってみることのできないものは、存在しないのだ〟と断言するのであろう。

(2)バケモノ、幽霊は今でもいると思うか
 存在を信じるものは、積極的肯定および半肯定を含めても、わずか二%にすぎない。その内容は、男より女が、若者よりも老人が、学歴の低い人ほどバケモノ、幽霊を認めている。これらの人びとは、多分は肉体的に、すなわち直接に幽霊を見聞きしたり、妖怪に遭遇したと信じているか、もしくは信頼すべき肉親その他による体験談を直接聞いたものと推定して間違いはないであろう。他はことごとく否定者であって、その否定率は八六・八二%と圧倒的数字を示している。しかしながら、国民の九割までが知識として否定していながら、同時に想像以上に多くの人びとが、幽霊またはそれに類する現象、妖怪のしわざと解釈せざるをえない幻覚や錯覚を経験する状態が、依然としてわれわれの周囲に存在するからである。このような問題は〝わが国民の理外の理を好み、奇を好む性質による〟などと説明はされていたが、今までは、いったい、どのような奇を好み、また、なぜにそのような奇を好むのかについての実態は明らかにされていなかったのである。

(3)虫のしらせということがあるか
 「腹の虫がおさまらない」「虫酸が走る」「虫がすかぬ」などと、昔から人口に膾炙した言葉があるが、これを現代風に言えば予感ということであろう。もっとも重大視されるのは、凶事の起る前に常ならぬ「胸さわぎ」とか異常な感覚を意識する場合。一般的にいうと大地震、洪水、台風などの天変地異の起る前にあると信じられている自然的な「前ぶれ」や、動植物、鉱物などの異常とか、夢の種類や、茶柱、口笛などの日常生活上の動作または事象によるなど、かなり範囲が広い。調査の結果は、肯定、半肯定で七四・二五%と、妖怪、幽霊の場合とは比較にならぬほど高率を示している。年齢別にみると、中年、壮年、老年と次第に肯定率が低くなる。このことは、実際の生活体験から、虫のしらせの確率に疑問をいだき、否定的になるといえそうだ。
章を追って読んで行くと、このようにおもしろい調査があることに気がつく。

Ⅴ‐2 現代文明と怪談のゆくえ
(1)近代生活の不安
 妖怪変化や幽霊の話はすでに真面目な信仰や大人の世界から笑話になり、あるいは子供すらこわがらないようになったといったが、それはなぜであろうか。もともと妖怪変化とか幽霊のようなものは人間の精神的な不安、心の動揺にもとづいて経験されるものだとすれば、世の中が非常に平和になり、誰も彼もが、明かるく健康にあふれた生活を楽しむようになったときには、このような経験をする機会は、ずっと少なくなるだろうという想像はできる。今でも地方の村へ行くと、たった一人で野原の一本道をを通るとか、山の中の墓地のわきを通らなければならないとき、心の不安は禁じえないし、バケモノが出はしないか、狐にばかされはしないかと大部分の人びとは不安を感じるのがふつうである。ところが、大都会の夜の大通は、年中街灯がつき、ネオンが輝やき、店内のまばゆいばかりの照明が屋外までくまなく照らしている。こんな所では、心に不安を感ずる人たちは、田舎に比較してはるかに少く、従って、妖怪変化の出現する機会もそれにともなって少いわけである。
たしかに文明は怪異を退けましたが、不安は本当になくなったのでしょうか?
Ⅵ まとめ
 最初に受け取ったものは、幽霊と妖怪は出現場所・時間帯などが異なる。また、日本全国にさまざまな幽霊や妖怪は言い伝えられており、その地方によって呼ばれ方が違う。幽霊が現われる理由として圧倒的多いのは現在も生きている近親者などに伝えたいことがあるから出現する。このように見ていくと、幽霊だけでなく妖怪もまた同様に出現する理由があるのではないかと思う。
 怪談に描かれている内容を各方面から調査し幽霊や妖怪変化などの仕組み、存在意義などを一文一文によく著されている。幽霊や妖怪は昔の時代から存在していたといわれており、別な見方をすると、日本文化を支えていたと言っても過言ではない。幽霊や妖怪が握る日本文化の深層部、裏の部分に是非触れてみたいと思わせる作品の一つだ。幽霊、妖怪を通して見えてくるものは数多くあるのだと思い知らされる一冊である。
ていねいに章の構成に従いながら読んでいます。その結果、歴史、文化における幽霊、妖怪の果たした役割に気がついたと思われます。ただ、突っ込んだ論議という意味では物足りない所があります。書かれたことをそのまま受け取るだけでなく、著者と対話するようなつもりで、自分の体験や思想で問いかけて見ることも大切です。
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