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入学前読後レポート(2)

学生たちこんなことしてます! 2010/01/25

すぐれた入学前読後レポートを掲載します。青字は引用、赤字はコメント及び訂正です。

共有される闇の空間、記憶と個々人の闇の空間、記憶
A.I

 「闇」「空間」「記憶」。今あげた言葉は今回、『妖怪学新考‐妖怪からみる日本人の心‐』を読み、私の中に印象強く残ったものだ。今回は、これらの言葉に関するものを含め、書籍(本書)に書かれていた事柄について考察していきたいと思う。
 「「闇」は人々を恐怖させ、その自由な活動を奪い取る。(。を取る)」(P134)本文(本書)にも書かれているように、闇の中での活動は困難なものだろう。それは単純に暗くて夜目が利かない、見えないという恐怖もあるだろうが、闇そのものに対する恐怖というものもあったのではないだろうか。いきなりだが“闇”とゆ(い)う言葉を辞書(どこの出版で、何という辞書なのか、発行年も明らかにする。学術レポートの厳密さが求められる。)で調べてみると①暗いこと。くらやみ。光の無いこと。②夜の暗いこと。夜影。③思慮・分別のないこと。心が乱れて迷うこと。④世が乱れて治まらないことのたとえ。⑤世人の目にふれないところ。といったような事が出てくる。ここで私が注目したのは③思慮・分別のないこと。心が乱れて迷うこと。④世が乱れて治まらないことのたとえ。⑤世人の目にふれないところ。の三項目だ。これらは視覚的なくらやみではなく、人間、あるいは生物の心の部分を示しているように思う。このように視覚的に「暗い」と認識できないもの、マイナスのイメージを思い浮かばせるものを、人は“闇”と称して恐れていたのではないだろうか(。以下不要、)と私は感じた。主観的な表現は避ける。(この段落は、レポートの対象となる書籍から一度離れて、論を進めるており、執筆者の見解がうかがえて読みやすい。) しかし、一部の人々は闇を恐れながらもそれを利用して生きてきた。一部の人々というのは「夜盗、逢引き。夜逃げ」(P134)といったような、一様に道徳的とはいいがたい、非道徳的行為を行う人々もそうだが、書籍(本書)第二部で書かれていた呪詛をあやつる者、陰陽師や外法使いといわれた人々もある種、闇を利用していたといえるのではないだろうか。彼らは光りの世界で活動する人々から見てみれば、異形の存在、畏怖の対象、嫌悪の対象といったような存在だったのではないだろうか。(同じ表現の連続を避ける。)「恐怖心が人間の想像力をト(トル)動員して超越的存在を生み出し、共同幻想の文化を作り上げ伝承する。恐怖に結びついた超越的現象・存在――それが「妖怪」なのである」(P37)とあるように、光りの世界に生きる人々は彼らを、闇を恐れることで妖怪というものの存在をつくりだし、闇を利用して生きる人々はその作り出された妖怪を恐れながらも、その影に潜むようにして生きていたのではないか。人々は闇を恐れ、避けながらも闇を必要としていたのではないかと私は考える。(赤の部分は不要:ただし英語では必要)
 「闇」とはなにも「見えない」というくらやみだけを指すわけではない。先にも述べたが「暗いイメージ」「悪印象」なども思い浮かばせるものも“闇”と称していたのではないか。ならば現代社会においても人と妖怪との関係を考えると「闇」という言葉がキーワードになってくることも納得がいく。
 しかし、「いまや夜の闇は制圧されてしまったのである。」(P136)とあるように、現代都市において夜が常にくらやみに支配されているということはほとんどなくなってしまった。それは人々が望んだことでもあり、そうすることによってたしかに多くの自由を手に入れただろう。だが「現代人はそうした人工空間の明るい都市のなかにも陰影を見いだそうとしてきた。」(P160)とあるように、あれほど嫌っていた闇をつくりだそうともしているのだ。
 闇をつくりだす方法というのは、意図的に明かりを消して暗がりを作る、といったように斬新なものもあるが、「明るい光りが灯っていても、暗いイメージを抱くことがある。」(P160)とあるように、何度も繰り返すようだが、“闇”を連想させる場所を造りだせばいい。そこで出てくるのが「空間」「記憶」というキーワードだと私は考える(このように新しい自身の見解を提示する場合は、強調の為、ここでは使用可)。恐怖や闇を連想する空間や記憶というものはとても抽象的であり、また人それぞれによって、どのような空間に恐怖を覚えるのか、その人の生い立ちや経験、価値観などといったものによって違ってくるだろう。
 たとえば、私は祖父の家にある洋間と、そこへ続く長い廊下に対して恐怖を覚える。すべての部屋が和室で統一されているのに、その一部屋だけが洋間であるという違和感や、その部屋に置かれている大量の人形から視線を感じる気がする。というようなことが恐怖の原因としてあったからではないかと今では思う。そして、その洋間へと続く長い廊下も、私からしてみれば恐怖の対象であった。こちらに関しては、なせ?と聞かれても明確に表現ができないのだが、とにかくこわかった。どんなに窓から外の陽の光りが廊下を明るく照らしていても、夜なんかは特に電気で明るくなっていてもそこへは近づきたくなかった。幼いころの私に「妖怪」という概念や認識はなかったが、その洋間や廊下にはたしかに私以外の人ではない、なにかがいた(ような気がしていた)のだ。そのような「記憶」から、私の恐怖を感じる空間は「祖父の家の洋間と長い廊下」であるといえる。そして、それを連想させる、思いおこさせる「空間」、場所に対し私は恐怖し、異形の影を見いだす。(ここでの、具体例の挿入は効果的で読み手を飽きさせない。)
 このような空間、記憶は私だけに限らず、誰しもが持っていると私は(ここは不要)思う。「「闇」の空間を各人で発見している。」(P162)というように、それは人によって姿かたちが違うだけなのだ。そして、個々人で認知された恐怖の空間、記憶とはまた反対に位置する[都市民の多くが抽象的なレベルで共有する空間](赤の部分を「」に)>(P162)もまた、同時に存在しているということも事実である。
 それは「死に結びついた空間」(P162)、「人々が潜在的に恐怖を感じている空間」(P163)「都市のいたるところに存在している大小さまざまな「閉鎖」空間」(P164)と、書籍(本書)に書かれているものをこのまま引用させてもらう。まず、これらに分類される“場所”だが、書籍に書かれていた場所も含め、いくつか取り上げてみたいと思う。
 最初に「死に結びついた空間」(P162)だが、これは墓場、病院、廃屋、事件事故のあった派(場?)所、それに加えて神社、お寺が当てはまると私は考える(自己の意見を主張する箇所なので、良い)。次に「人々が潜在的に恐怖を感じている空間」(P163)「夜の、利用者がいない、あるいは電気が消されている空間」(P163)というふうに示されている夜のオフィス・ビルや学校、人のいない街路、公園、劇場、体育館。そしてここにも神社やお寺は分類されるのではないかと思う。そして最後に「都市のいたるところに存在している大小さまざまな「閉鎖」空間」(P164)だが、これはトイレ、エレベーター、車、扉や窓を閉めきった部屋などが分類されるだろう。
 ここで注目したいのが、今あげた3項目に分類される場所は、個々の名称、建物の構造や点在地は違えども、学校は勉強をする場、病院はけがや病気の治療を受ける場といったように、それぞれの施設の役割は同じ(学校と病院の役割が同じとは?そうではなく、両者の人々に潜在的な恐怖を抱かせる役割が同じなのでは?)ものである。(。ではなく、)ということだ。これがどういうことを示すのか。私は「恐怖の共有をより容易にする」作用をはたしているように思うのだがどうだろうか。恐怖を共有するためには、その場所でどのようなことが起こったのかをまず知る必要がある。
 たとえば「●●って施設で××ってことが起きたらしいよ。(。トル)」と友人などから聞いたとする。すると実際にそのようなことが起きた場所でないにせよ、その場所と同じ役割を持つ施設を利用すする際、「ここでも同じようなことがおきるのではないか」と恐怖。(。ではなく、)あるいは警戒するのではないだろうか。そして、そのような「記憶」は夜、暗くなってからだったり、昼間でもなにかマイナスなことを考えていたりするときにかぎってその恐怖に縛られてしまう。(。ではなく、)という経験もあるのではないだろうか。
 余談だが、先ほどの場所の分類において、私は「死に結びついた空間」(P162)「人々が潜在的に恐怖を感じている空間」(P163)の2項目リ両項(?)に、神社とお寺を分類した。まず前者に分類されるという考えにいたった理由として、私はこれらの場所に「死」以外の意味で神秘的、儀礼的な存在、ある種の不可侵的な空間であると感じているからというものがあげられる。書籍(本書)に書かれていた通り、事故事件のあった場所というのはここでもまた例外的な場所になってはくるのだが、その他の場所、例えば墓地は死者を埋葬、安置する場所であるし、神社やお寺は神や仏を祀る場所だ。そしてその場所では儀礼的なこと、お盆やお彼岸にお墓の掃除をしたり、神社ではお祭りを行ったりもする。病院での手術も、病気という厄を祓う(治療)という行為なわけだから、これも一種の儀式といえるのではないかと思う。次に後者だが、こちらは「神社や寺院の周囲の森や墓場さえも(中略)人間の領域・「光り」の領域に組み込まれていった。」(P148)ということも関係していると私は考えた。神社やお寺には不特定多数の参拝客が多く来訪する。これらは学校や劇場といったように夜になると必ず無人になるわけではないが、夜になると周りは静寂に包まれ、境内の周りはまだ森があったころのようにくらやみが現れる。そうすることによってこれらの場所は昔の人々に恐れられていたころの姿を取り戻すのではないかと私は考えた(赤の部分不要)
 このような「共有される闇の空間、記憶」、「共有されない、個々人の闇の空間、記憶」は知らず知らずのうちに、人々の心の中に作りだされている。そして、その作り出された空間に妖怪たちは「「闇」を見いだして人々の前にきっと立ち現れてくる」(P176)のである。

レポートの対象となった書籍のまとめや感想だけでなく、執筆者自身の論が若干ではあるが展開されていて大変良い。
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