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入学前読後レポート(1)2010

学生たちこんなことしてます! 2010/01/18

2010年の入学前レポートの優秀作を掲載します。赤字は教員のコメント、青字は引用部分です。

「怪談―民俗学の立場から」の読後レポート
R・K
 幽霊と妖怪とは違うという、柳田国男以来のテーマについて関心を持ち、かなり一貫してそれを追っているのは、明晰です。ただ現代の最新の見解では、幽霊は妖怪の一部(小松和彦)というのが妥当なようで、それは『妖怪学新考』の方を読まれたらよいでしょう。

本書は、日本人と怪談のかかわりを民俗学の立場から考察するというものであり、妖怪、神仏、心霊現象や霊魂信仰など多様な視点から考えを広げている。ここでは特に印象に残った幽霊と妖怪について、それぞれのルーツを中心に怪談のありようについて纏める。

Ⅰ 怪談の主人公たち
(1) 幽霊、妖怪について
本書のこの項で著者は、幽霊を人間の霊魂、つまり、死んだ人の魂、妖怪を人外のものとして定義づけている。さらに、一通り妖怪が場所に現れること説明し、妖怪は一定の場所に固定されているのに対し、幽霊は一定の場所に固定されず、空間を超越していることを述べ、幽霊と妖怪の違いを決定付けている。
「その場所を山、平地、道路上、それから水に関係ある妖怪変化だと川、池、沼、海、海岸というようにわけることもできるし、家を中心として屋内、屋外というように家に纏綿するものと考えられる。つまり妖怪変化には、ある土地に定着している特性が認められるのである。だが、幽霊のほうは、ふつうは、ある一定の場所に固定されず、空間を超越いるのが特色である。瞬時にして何百キロでも飛行できる飛行性があって、大阪の幽霊が東京へ出る事ができ、九州の幽霊が北海道へ出ることも、けっして意外ではないのである。」(P18)このようにはっきりとした違いを著者はここで示している。これは、幽霊が妖怪の中に取り込まれた形である、「お化け」としての不当な名称からの概念を切り離すための違いの提示だと思われる。
 「お化けとしての不当な名称」(P76)という言い方は今野圓輔そのままなので、気をつけましょう。著者の考えと自分の考えは区別して下さい。読書すれば著者からの影響を受けるのは当たり前ですが、引用を使うのは著者の考えと自分の考えを区別しやすくするためなのです。
Ⅱ 幽霊の歴史性
(2)幽霊のルーツ
この項で著者は、幽霊を題材とした芸能が現在のイメージである幽霊のルーツとなっているであろうことを著している。すでに、万葉時代から人間の精神が形あるもの、つまり魂という概念が存在していた。ここでは、幽霊の姿形、特徴の定型化が決定的となったのは、江戸時代の芝居によってされたとしている。
「「姿や動作で、見物をおびやかした幽霊は南北と松助の『天竺徳兵衛韓噺』が初めてであって、怖いもの見たさの江戸市民が殺到し、皿屋敷、小幡小平次、累などが、相次いで上演された」と渥美氏は説かれている。」(P42)
戯作者であると思われる、松助氏による円山応挙の絵などを参考にした、衣装による足を見せない演出、幽霊役を宙に浮かせる仕掛けなどにより、足がなく、空間の超越を可能とする飛行能力もった幽霊、つまり前述した現在の幽霊象のイメージに近しい幽霊が「幽霊」という一単語として見物客にインプットされたと考えられる。
 これは折口信夫の見解でもあり、小松先生も同じような見解を示しておられます。

また、現在の幽霊のイメージとして必ずといってよいほど付いて回る(一例として挙げるなら『東海道四谷怪談』)、幽霊が生前の恨み辛みを晴らそうとする復讐や怨恨といった要素についても述べている。
「中世の能楽を見ても、それらはまるで亡霊、モノノケの文芸、芸能といってもよいほどで、こうしたものが、歌舞伎狂言にも筋を引いてくるのだが、能ではほとんど史上の人物の幽霊が名乗り出て、来歴をのべたのち「跡弔いてたび給え」と後世を頼んで消えていく―そこには血みどろな怨恨や復讐の要素は見られないのである。」(P44)つまり、原初に考え出された幽霊は、この項に記されている万葉集の詩のように、さし当たって、人々の恐怖の対象ではなかったことが伺える。つまり、人々が恐怖する「幽霊」のイメージは後の創作であったと考えられる。このようにして、幽霊という存在、そして怪談に変遷が生じていることがこの部分から読み取ることができる。

Ⅲ 妖怪変化百態
(3)妖怪のルーツ
この項で著者は、仙人という存在から様々な妖怪について触れている。仙人が果たして正しく妖怪という存在として定義できるかどうかはいささか疑問だが、前述の通り、本書では、人ならざるものを妖怪として定義しているため、仙人も妖怪の類であるとする。ここでは、「生きている仙人」の話について詳しく紹介されているので、その一例を軽く記しておきたい。1956年にこの話は伝えられとされ、青森県の赤倉山の地名をとって「赤倉山の仙人」とよばれる人物であり、この時、八十七歳であった。六十三年前より入山し、世捨て人となる。長い年月の難行苦行により仙術のようなもの体得、里の人たちに「仙人」扱いされるようになったとしてある。著者は、このように、自ら世捨て人となり入山したケースや、「神隠し」と呼ばれる現象を挙げ、山に入ったきりの生活をしていた人々は、昔から存在していたとしている。その証拠として昔から伝えられてきた、山中で生活していた人らしきものの名称を挙げている。(山人、鬼、山ノ神、山童、山姥、山姫など。)
これにより、人々はこれらの存在に既知であり、なおかつ、人ならざるものではないかという人々の想像が働いていたということが考えられる。また、天狗倒し、ソラキガエシなどといった山中で木を切り倒した音がしたのに、どうにもなっていなかったという不可思議な現象などについても触れ、「このような幻覚を里の人々が、なぜ経験するのだろうか。問題は、そうした経験を繰り返す里人たちの心理状態、山中の精神的不安の根源なのである。」(P93)と指摘している。これらから、妖怪は特異な経験や人々の心理状態によって、生み出され、形作られていったものとして考えられるのではないだろうか。
 柳田国男も『山の人生』などで山人の存在に触れていました。しかし山の妖怪については『遠野物語』などに描かれているように、山中で労働する炭焼きや猟師などの間での「語り」の中にあると考えた方がよいように思えます。


Ⅳ 神がみの零落と霊魂信仰
(4)信仰について
この項で著者は、霊魂信仰や神話など、宗教的観点について著している。霊魂信仰、つまり、前述している魂という考え方であるが、ここでは仏教でいう地獄、極楽、キリスト教でいう天国といった死後の世界、つまり、後生という考え方について触れている。(魂という考えから、極楽、地獄といった世界観ができあがったと考えられるため、後生の考え方は魂と同じく、霊魂信仰からなるものであろう。)さらに、そこから、霊魂信仰に深い関わりがあるのであろう盆行事について触れ、盆という行事が、祖霊を祭るものとし、我々日本人が死後の魂というものに対し近親感をもって接しているといった考えを述べ、締めくくりとして霊魂について詳しく著している。
「これらの盆行事にさいして見られるお正客としての魂に共通した要素の一つは、これらの霊魂は、黄泉のさわりがなく、つまりこの世に思い残すことがなく、仏教ふうにいえば成仏している霊魂だということである。何か成仏しきれないものをもったまま死んでしまった霊魂というものは、この世に残された子孫にとっては、非常に気がかりな困る存在である。だから生身のわれわれから解釈すれば、たえず精神的な不安を伴っているわけで、古くからの信仰に基づいて、そういう、つまり子孫、残された肉親からみれば成仏しきれなかったことを、的確に知ることができない現世の人たちに伝えるに違いないという期待がもたれているわけである。」(P148、149)
とし、霊魂といったものの有り様、「幽霊」の根源にあるであろうものについて述べ、また、
「妖怪変化には定着性があって、けっしてやたらには出現しないのに、幽霊のほうが、時間や空間を超越しているといわれるのは、じつは、こういう現世の人たちの要求や期待が、それを裏づけているからであろう。」(P149)
と述べ、妖怪と幽霊の固定、非固定の特性、特色についての解答に近しいものであろう意見を述べている。

Ⅴ まとめ
これらからはっきりと分かったことは、まず幽霊と妖怪の間には、明確な線引きがあるということ、そしてそれは明確に引かれているであろうということである。妖怪は固定された場所に現れるのに対して、幽霊にはそれがない。それには、幽霊に対する人々の考え方と妖怪に対する人々の違いが関係していると考えられる。これは確実に怪談における妖怪の話と幽霊の話に差異をもたらしていると考えることができるだろう。

このように、怪談やそれに登場する主人公、妖怪と幽霊という存在から、また、それらに対する考えから学ぶことは多くあることだろう。本書からはあらゆることを考えることができた。幽霊、妖怪といった存在については勿論のこと、それらのルーツ、有り様、霊魂信仰などである。
さらに、これらを深く考察していくことにより、見えてくるものは多くあることだろう。大学入学後は、さらに詳しくこれらについて学んでいきたい。
 今野圓輔のこの著作の意義は、Kさんが「あらゆることを考えることができた」と書くように、その総合性と現代性(50年前の)にあります。しかし、その総合性を相手に読後レポートを書こうとするとなかなかやっかいなので、このように一つにターゲットを絞って書くという戦略は正しいでしょう。
 学問というものは日々進んでいるので、「妖怪と幽霊は違う」とか「神の零落したものが妖怪」という民俗学の常識も、修正が加えられつつあります。でも、正解だけを求めることが学問の立場ではありません。大学で最新の妖怪文化について学ぶことを楽しみにしていて下さい。
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