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吉村亨文選(1)

教員紹介 2009/07/23

ブログを運営していたドブログが廃止になったため、こちらに記事を移動させた。吉野はフィールドに出かけるので、以下の文はぜひ読んでおいてほしい。

義経と聖域「吉野」
―その虚実と転成のトポス―(1)
                   吉村亨

 日本の中世史、ほぼ十世紀から十六世紀くらいの時代を中心に研究し、過去、いろんな分野に手を延ばしてきたのですが、その研究史をふりかえってみましても、私には、いわゆる人物史と呼べるような仕事がほとんどありません。かといって、歴史上の人物が嫌いというわけではない。そういうことよりもむしろ、人物史を研究することが固定的な歴史像をもたらすんじゃないか、あるいは歴史上有名な人物を語ることにどれだけの意味があるのかという戸惑いもあって、どちらかといえば遠ざけてきたように思います。実際、NHKの大河ドラマをはじめ、歴史上の人物を主人公とした番組を観ることは少ない。この種の番組で特定の俳優さんのイメージをもたらされることを避けている、というのが実情のようです。
 さて、今回、こうした私が、義経という人物について皆さんのまえで話をしなければならなくなった。この著名な人物については、会場にも幾人かの専門家がいらっしゃるし、この度、現地の史跡などを訪ねるうえで大変お世話になった教育委員会の池田さんなどのほうが、義経や吉野についてはずっと詳しいと思います。また、私としては、今までに義経という人物を特定して研究したことはありませんし、吉野という地域についても同様、あまり正面きって考えたこともありません。
 聞くところによりますと、この文化講座は今年で三三回目ということ。吉野町の方々より外部から来られる方が多いようです。大阪方面、なかには横浜あたりからもやって来られる。地域に根ざした講座でありながら、遠方からも多数の参加者がある。このこと自体、吉野という場所が歴史的な面白さをもった地域であることを物語っているのでしょう。そのうえ、義経という歴史的に著名な人物を吉野という地域に乗せて話をするとなれば、これは中途半端なことでは済まされない。
 たしか五月のことだったと記憶していますが、教育委員界の池田さんから、この文化講座で「義経と吉野」をテーマとする話をやってみないかとの申し出をうけました。特定の歴史上の人物にかかわった講座はとりわけですが、たいてい即座にOKをだすことがないのですが、今回は快くお引き受けすることになりました。これにはいくつかの理由があります。池田さんと私との個人的な関係もさることながら、かねがね義経についてはよくわからないことが多くって、言い換えれば、逆に何でも言えるんじゃないか、言うことが全て仮説になりうるんじゃないか、そんな思いがありました。それに、気になっていた場所なんですね、吉野というところは。中世という時代だけをみても、義経が活躍した源平の争乱や後醍醐天皇の南北朝内乱で吉野が表舞台となっており、やがて天下人秀吉に至る。この間、吉野という地域では、ある種の治外法権的な世界が維持されていて、そうした地域性は、場合によっては明治維新に至るまで継承されている。時代の大きな転換期に、吉野という不思議な場所が必ず出てくるんですね。そんな吉野を、一度自分なりに考えてみたかったということもあったわけです。その場合、この地域に残された義経にまつわる多くの伝説や伝承も、利用の仕方によっては重要な意味をもってくるんじゃないか。そんな思いがふと頭をかすめました。今日はそうした伝承的世界をも折り込みながら、義経という人物と吉野という地域との関わり方を考えてみようと思います。
 日本の歴史上には、様々な伝説・伝承をもった人物が多く存在します。人それぞれの好みもありますが、かりにそうした人物で誰が好きかと聞けば、必ず出てくるのが義経です。判官贔屓という言葉もあります。そのほかには秀吉とか楠正成とか。中世という時代を限ってみても、おそらくベスト・スリーに義経・正成・秀吉がランクされるのではないでしょうか。そのうえ面白いことに、この三人はそれぞれに物語文学を背景に持っている。義経の場合は『源平盛衰記』『平家物語』『義経記』など、楠正成なら『太平記』、秀吉は『太閤記』、そうした文学作品を背景にそれぞれの人物像が語られ、さらに江戸時代には、それらをベースにして新たな文芸が生み出されている。
 さて、『義経記』を読めばすぐにわかることですが、義経の場合、彼の三一年間の人生が二つに分かれてしまう。それを前半生と後半生とした場合、前半生はまさに古代国家を解体に導くほどの革命的な行動を展開している。平家打倒という一点に絞られてその活躍はめざましい。ところが、後半生、つまり兄頼朝との関係が悪くなってから奥州に逃れて死んでしまうまで、まさに手のひらを返すような人生が展開する。そのギャップが、各時代の共感を呼び起こし、やがて判官贔屓という象徴的な言葉で表現されるような意識を生み出していく。大変華やかな人生と流浪の人生の対照、この極端な対比あるいは分裂の仕方が、物語作家にとっては格好の素材となったわけです。(つづく
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