スポンサーサイト

スポンサー広告 --/--/--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| FC2 Blog Ranking

入学前読後レポート(4)

学生たちこんなことしてます! 2009/02/12

今回も『異人論』についてのレポートです。赤字は教員のコメント、青字は引用です。

『異人論』
MA
(→最初にこのレポートの著者の視点を書く必要があります。)
Ⅰ 異人とは
(1)異人とは
  新国語例解辞書(小学館)によると「①異国の人。特に西洋人をいう。②ほかの
人。」
と記述されている。 しかし、著者がここで述べている異人とは、民衆とは懸け
離れた廻国聖六十六部などの巡礼者や巫者のことである。またそこから、山姥や河
童などの人外な存在にまで考えを広げている。
(→大学のレポートでは、言葉の意味を調べる場合、国語辞典を引くのではなく、学術用語の辞典を引くようにして下さい。一般用語と学術用語では全く意味が違う場合があります。この場合は、『日本民俗事典』(弘文堂)か『日本民俗大辞典(上・下)』(吉川弘文館)を引くようにしましょう。)
 (2)異人のもつ両義性
 著者は「異人を畏れ敬う気持ちが強い社会では、異人は人びとに歓待されることになるが、忌み嫌う気持ちの方が強い社会では逆に排除されることになるであろう」(p15)と述べている。つまり、異人が訪れる集落や地域の状況において、その異人が富をもたらすのか災厄をもたらすのかが判断されていた。時と場合に応じて異なる待遇を受けることになる。
(→(1)と(2)がつながるような文章と、なぜここでこれら二つの点を最初に指摘するのかも書いた方がいいでしょう。)

Ⅱ 異人殺しと家の盛衰
 (1)異人殺し
 ここで著者は28の事例をはさみながら、異人の両義性を踏まえて異人殺しについて語っている。事例のなかに見られる異人殺しの多くの背景は、人の欲望であった。このことから読み取れることは、そこに暮らす人びとの生活が思わしくなかったということである。自分たちの生活を維持するため、または暮らしぶりを良くしたがために、やってきた異人(特に六部や座頭)を殺害するに至った。しかしながら、人びとはそれを公にできず、語られる際には内容を変形し、外部向けの装飾を施した。それらが今、全国各地で語られたり、書物に書き残されたりしている。これら異人殺しが語られるなかで、同じ異人でありながらよく人びとに受け入れられ、きわめて重要な役割を果たすシャーマンが登場する。その役割は村内に生じた異常の原因を、神霊を呼び招く“神降し”で探り、託宣させるというものであり、人びとは説明のつかない異常を前に、彼らシャーマンを頼る他なかった。それにより、六部殺しが原因だ、などの異常を説明する内容が明らかにされるのだが、著者は「シャーマンに憑依した民俗社会の心性は、そこに生じている『異常』の原因として、このときはその社会が所有する多くの原因のなかから異人の怨霊を選び出したにすぎないのである」(p32)と著している。つまり、人びとがシャーマンを介してありもしない異人殺しを、またその祟りを発生させたというのだ。そうすることによって、村のなかで急な盛衰に遭う家やその家内で起こる異常の説明がつき、また自分たちの胸中に渦巻く嫉妬の念を癒すことができ、異常を理由にその家を忌避することさえ可能になった。
 実際に「異人殺し」は行われたのであろうが、すべてがすべてそうではなかったのではないか。民俗社会における「異人殺し」のフォークロアの存在意義を「民俗社会内部の矛盾の辻褄合わせのために語り出されるものであって、『異人』に対する潜在的な民俗社会の人びとの恐怖心と“排除”の思想によって支えられている」(p89)として、著者は定義づけている。
 (2)家の盛衰と異人との関係
 まず、社会では家の盛衰を神秘と考え、ある家が突然長者になったのは神秘的作用がはたらいたためだと考える。そこで、さまざまな神霊や妖怪類、憑き物と総称される動物霊などが家の盛衰に関与しており、さらに原因とされている。これに繋がるのが「異人殺し」であり、「「異人殺し」伝説は異人が大金を所持しているという当時の人びとの観念の浸透や、異人は時に忌避され殺されることがあったという事実、または殺されても何ら不思議はないという意識などから成り立っている。
(→ここでも、この節のまとめ、つまり(1)と(2)のつながりについて書いた方がいいと思います。)
Ⅲ 異人の説話学と人類学、祖霊とマレビト
(1)「異人」としての女性
 女性が異人として語られる説話はよく見られる。ミクロネシアの島に伝わる鉄の歯をもつ女妖怪「ンギ・パラン」や、日本に伝わる三人兄弟・化物退治に登場する山に住む美女に扮した大蛇、よく語られる山姥。これらはすべて女性をモチーフとした異人である。
 女性がこうした「異人」視されるのには訳がある。男性は「文化」を創造するが、その文化を創造する男性をこの世に送り出すのは女性であり、自然に深く根ざした根源力をもつと考えられる。これが男性を恐怖させ、いらだたせる。女性を日常生活の中心から排除し、また支配するために社会権力を男たちに生み出すようにそそのかすのだ。
 上記で挙げた、ンギ・パランや大蛇、山姥などの像は、著者によって「究極的には『自然』に近い潜在的な『他者』としての『女性』、男性たちが恐怖する根源的かつ統制しえない力をもつ女性のイメージを表現しているのである。男たちは、あらゆる社会で、それに打ち克つ所有せねばならず、そうせねば文化を創造し維持することができなかったのである」(p122)と考えられている。
(2)祖霊とマレビト
 祖霊とマレビトとは、日本人の思考・行動様式を背後から支えているであろう日本人の神観念を明らかにしようとしていた柳田国男氏と折口信夫氏の二人の巨匠によって生み出された事柄(→事柄ではなく、概念くらいがいいでしょう)である。柳田氏は「祖霊」はかつて我々と同じ人間だった日本人の神が子孫による死後の儀礼を経て、祀られたのだと考えた。折口氏は日本人の神の本質を時を定めて他界から来訪する霊的、神的存在だとし、人間を富ませるためにやってくるのだと考え、それがいわゆる「マレビト」である。
   この二つの神は本質的に見て、異なった存在である。「祖霊」とは親族集団のみの神、「マレビト」とは異郷に住まい、共同体を構成する人びとを祝福するために来訪する神なのだ。
(3)蓑笠をめぐるフォークロア
 さまざまな儀礼において、蓑笠が重要な役割にあることを著者はここで語っている。
 地方にもよるが、蓑笠が儀礼道具として使われることが多く見られる。葬送儀礼にも使用されるが、「葬送儀礼において用いられる蓑笠は生の世界から死の世界への“通過”のメタファー」であると著者も語るように、ここでは寂しさから親や友を道連れにしようとする死者の霊の表象とされる。
 葬送儀礼に使用されるのであれば、誕生儀礼にも使用されるのではと考えられるのだが、そういう報告はまだない。しかしながら、著者は考える。「儀礼を受ける当人である赤子はまだ母親の胎内、つまりまだあの世におり、死者のようにその装束として本物の蓑笠をつけてやるわけにはいかない。したがって、生の世界の人間はあの世からこの世への“旅”をしてきた赤子を祝福しながら迎えてやる、つまりこの世への“統合の儀礼”に力を入れてやるべきだと無意識に考えていたのかもしれない。すなわち、赤子の“旅装束”を整えてやるのは、生者の仕事ではなく、赤子を送り出すあの世の者たちだ」(p205)と。これを踏まえると合点がいく。誕生儀礼の蓑笠は、「赤子を包んでいた胞衣(=エナ)」が相当するのだろう。誕生儀礼の蓑笠はこうして著者によって導き出されている。
 残るは婚姻儀礼であるが、これにも蓑笠が使われている。日本の形式ではおおよそ夫の家に妻が嫁ぐため、花嫁の社会的境界の“通過”のしるしとして蓑笠などを用いる地方が数多く見られた。
 このように、蓑笠は人びととの多くの関わりを見せる儀礼道具である。その名のとおり、「物理的時空とともに社会的時空を移動するための旅装束である」(p211)と著者は語る。
(→文化人類学の通過儀礼の考え方です。文化人類学では社会的地位AからBに移行するとき、多くの文化でAからの分離儀礼、AでもBでもない境界儀礼、Bへと移行する統合儀礼が行われると考えています。それは誕生、結婚、死などの際に行われます。高校生から大学生になる時も、卒業式が分離儀礼で、どちらでもない時が境界儀礼、そして4月の入学式が統合儀礼となります。4月の入学式をこのような文化人類学の観点から、人々の服装や行動を観察して見て下さい。)

Ⅳ 妖怪について
 妖怪と聞くと、大抵の学者たちは眉をしかめる。しかしそんななかで、著者は日本の文化の深層部(裏の部分)にしっかり根をおろしており、日本文化のあらゆる問題の入り口を提供してくれるものだという見解をもっている(もちろん、姿かたちについてのはっきりした定義はないということを留意しておかなければならない)。
 妖怪はつねに祭祀されない外側の領域の存在であり、人びとに恐怖の念をいだかせる存在である。しかし著者は、何かの契機で身近な人間が妖怪に転じてしまう可能性もあると述べている。それは人それぞれの意識レベルによって「内」が「外」になったり、「外」が「内」になったりと見方が違ってくることからも変わってくる。裏を返せば、見方の問題ともいえる。
 昔話などにも「異人」を妖怪視する意識があったり、妖怪にも「異人」に対する偏見や“差別”の意識が働いていた。それに対し著者は遺憾な思いを著しており、そのような意識の解消を望んでいる。
(→妖怪は存在するのかどうかを知りたい人が多いですが、人文科学としては、このような考え方が重要となります。)

Ⅴ まとめ
 最初に受け取ったものは、異人を通して人びとが積み重ねてきた重く暗い過去や過ちであり、人間の欲深さ、奥底にある邪な心や身勝手さであった。同じ人間である過去の人びとに嫌悪感を抱くと同時に、妙な共感をもしえるだろう。昔も今も人間の根本的な部分はあまり変わっていないように思えるはずだ。
 説話学や人類学からは、男性は表方で女性は裏方という今でも変わらないスタイルがみられた。裏を返せば、このスタイルは、時を越えた今なおも続いているということだ。また、男性たちの恐怖感から生まれたのではないかと考えられる女の妖怪たちの説話には手に汗を握るような興奮をするだろう。
 そして妖怪の研究は進んでいないという著者の考えの深さは一文一文によく著されている。妖怪が握る日本文化の深層部、裏の部分にはぜひ触れてみたいと思わされるのではないだろうか。異人、妖怪を通して見えてくるものは数多くあるのだと思い知らされる一冊である。
(→非常に良く出来たレポートだと思います。この『異人論』は著者がかなり前に書いた物です。この著者である小松和彦先生は、京都学園大学歴史民俗学専攻の特別招聘客員教授ですので、おそらく皆さんと直接、お話する機会もあると思います。一番新しく出版された『百鬼夜行絵巻の謎』(集英社)では、著者の妖怪研究も一段落ついたと書いておられますので、この本も是非、読んで置いて下さい。今なら書店で山積みされていますよ。)
スポンサーサイト
| FC2 Blog Ranking
| HOME |
09 | 2017/10 | 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

OTHERS

TAG


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。