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入学前読後レポート例(2)

学生たちこんなことしてます! 2009/02/04

このレポートは社会人入学予定者のものであり、高校生諸君のお手本にはならないかも知れない。しかし、口承文芸の本質が、語らざるを得ない事件に遭遇したことを重要な動機にすることにあるわけなので、まさにこれは「語りの発生」を扱っているものとして公開の価値があるものだといえよう。コメントは赤字、引用は青字にしている。

学校の怪談口承文芸の研究Ⅰ 読後レポート

T.K
(民俗的事象は、「信じる」「信じない」という姿勢とは無関係であるということが、よく承知されている。そういう地点から自由でなければならないのだ。)
 この本は学校において噂話として伝承される怪談を収集、検証することにより、現代の学校において脈々と流れる口承文化を解読しようとしているものである。
学校という空間において流布する怪談を通し、その中に見え隠れする子供達の民俗学的な感覚をも読み取ろうとする側面も持ち、ある意味教育論の一説と捉えることもできるのではないかと思う。
そもそも怪談とはなんらかの原因があり、発生するものだと私は考えている。
その根源とは何か? それは恐怖だろう。
恐怖の対象は人それぞれではあるものの、共通するものがいくつか挙げられる。
死をイメージするもの、危険な場所、過去に陰惨な事件が起こった場所、暗闇、閉鎖された空間、無人の空間などだ。
恐怖を感じる場所、あるいは状況などに陥った場合、人はしばしば不思議な体験をする。
見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたりする(と錯覚してしまう)。こういったハナシは「馬鹿馬鹿しい」とか「非科学的だ」と言われながらも確かに存在するのだ。
このような怪談話は会社組織の中においても確かに存在していた。
(ふつうレポートでは「私は…」とは書かない。客観的な考察を中心にするためだ。しかしこのレポートは「物語の発生」を扱うために、あえて私小説風に自らの体験を述べるという方法を、形式を破って使っている。通常は真似をしない方が無難であろう。)
 私は高校を卒業して随分と経つので学校の怪談等を聞き込む事が困難なため、社会人になってから見聞きした例を以下に挙げる。高校時代に聞いたあいまいな記憶によるものよりこちらのほうがより鮮明だからだ。
 私はこういった事例に対してのオカルト的な見解には否定的である事を初めに断っておく。
 某プラントにて昼間に二人で作業していたところ誰かに名前を呼ばれた。
 ペアを組んで仕事をしていた相方に呼ばれたのだと思い返事をして振り返ったが、相方は不思議そうな顔をしている。「今、呼ばなかった?」と聞いたが「いいえ、呼んでませんよ」
と言われた為不思議な事だと思った。
 その後数日経ってから別の人と作業をしていたところ、その日の相方がいきはり「はい」と答え振り返った。面食らった顔をしていると「Kさん、今呼びませんでしたか?」と言う。聞くと誰かに名前を呼ばれたのだと答えた。
 奇しくも場所がプラント最上階、それもほぼ同じ場所だった。
 このプラントは先年、爆発事故を起こし、最上階の一部分が燃えた場所であり、数人の尊い命が失われた。安全教育の時に知った事だが、熱影響でねじれた安全帯の金属部があったのみで骨も残らなかったそうである。私はその火災影響部の復旧作業に従事していたわけだが、担当した場所が事故のあった区画のすぐ隣であり、振り返れば2メートル先にはひしゃげた鉄筋や燃えた残骸が見えるような所だった。
 本書の考察を真似てこの怪談を分析するとおそらくは次のような事になるだろう。
 工事現場というものはとにかく安全に気を配る。何かのミスがすぐに命の危険と直結するからだ。そしてそこで働く人間は危険、すなわち事故についてはかなり敏感になりやすい。
過去に事故があったことなどはそこで働く人間にとってはそれだけで大きな精神的負担、言うなれば暗いイメージを持たせる。
 さらにプラント工事に限って言えば「ゲンを担ぐ」人が多いという特徴がある。
 一般には知られていないが大きなプラントには必ず神社、もしくは祠があり、工事を行う前は必ず祈願するのだ。そして工事現場の仮設事務所には神棚が設けられ、工事開始前にはそれに向かって拝礼する。近くに大きな神社のある場所ではわざわざ出向いて安全祈願をする。妙だと思われるかもしれないが、これは大手企業であればあるほど顕著であり、今までも国内有数企業のプラントへ行くと必ずと言っていいほど行ってきた。
 工業という無機質な職種においても信仰心やある種のシャ-マニズムが失われていない事の良い一例だと思う。こんな背景もあってか職人達は妙に霊的な現象に対して理解を示しやすい傾向がある。
(リアルな社会生活と、始原的な幻想とは矛盾しない、近代人の行為と民俗的な現象は矛盾しないということの好例であろう)
 そして作業場の音に関して言うと、常になんらかの音が現場には鳴り響いている。
 重機を駆動させる音、ハンマーで修理する音、注意喚起の声などだ。
 肉体的要素で言えば工事期間中は休みが取れない過酷な仕事であり、一ヶ月残業ありで無休といった事もざらにある。当然疲労は溜まる。
 決定的なのは私と相方がともにある怪談話を耳にしていた事だ。それは夜中に放射線検査の人間が作業中に焼け焦げたプラントのほうから『熱いよう』との声が聞こえた、というハナシだった。(作業の相方は共に放射線検査を行った会社の人間だった事も追記しておく)
 これらの事が重なって実際は起こりえない事が起きた(と錯覚した)のではないかと推測される。(少なくとも呼ばれたと知覚した事は事実である)
 何故こうしたハナシが怒号の飛び交う工事現場において語られるのか?それは安全への配慮もあるだろう。過去に起こった陰惨な事故、それに付随する怪談を語る事により、そこで働く人々は知らず知らずのうちに事故が起きた事を口にしているのである。事故を意識する事はイコール安全を意識する事に他ならない。この手の話が語られる時は必ずといっていいほど事故に関するオチがある。工事現場における怪談とは安全意識の喚起といった側面も持ち合わせているのだ。
 また寄せ集めの人間が行うこういった仕事では、短時間で如何に円滑な人間関係が築けるかが、仕事を行う上での重要なファクターになる。その為にはまずコミュニケーションを取ることが大事であり、作業をしながらも雑談する人間は非常に多い。不謹慎ではあるがその場所を舞台にした怪談はまさにうってつけのハナシのネタなのだろう。そしてそのハナシを共有することである種の連帯感を生んでいる事も見逃せない。『そんな事故のあった危険な場所で仕事をしているんだ。事故の無いように気をつけてやろう。チームワークを重視しよう』そんな意識が心のどこか、深層心理に焼き付けられるのではないだろうか。(民俗学と深層心理学の対比は、大学へ入学してからのテーマになりそうだ。また、読後レポートと感想文は違うということの大きな要素の一つをここで見ることができる。つまり、書物に記述されている「方法」を自分も、現実の考察に使用してみるという態度である。)
 以上は私の体験した怪談をこの本に習って考察したものであるが、こちらは学校の怪談と書かれているので少し趣きが異なる。
 著者は教諭と言う立場から生徒に聞き込みを行い、様々なパターンの怪談を収集する事に成功している。さらにその怪談の解読、解析に対し精神面および現実面の両方からのアプローチを行っている。
 前述した怪談の事例はこの著者の手法に沿って自分なりに分析したものではあるが、その中に内包されている世界は学校の怪談以上に鮮明であり、事実に基づいている分だけリアリティのあるハナシだと思う。
 挙げられている怪談は多岐に渡り中には有名なハナシが多々見受けられた。
 特に『口裂け女』や『ムラサキババァ』などは有名な怪談の一つでありその類のハナシは全国各地で語られている。14ページに記載されている『赤い紙、青い紙』などもその一つだ。このトイレを舞台にしたハナシは私自身が過去に読んだ怪談集のような本に載っていたので勿論知っていたが、著者はこの怪談が発生する一因について次のように述べている。
(基本的には孤立した空間の中で、下半身を露出した状態のままかがむという、動物としての弱点をさらけだした姿勢が絶えず抜き去りがたい不安を誘うのであろう。31ページ)
 これは自分のおかれた状況によって脅迫観念に近いものを感じる典型的なケースである。
 私の聞いた前述の怪談でも同じような状況がある。
 暗闇の中人気の無い場所で作業にあたる、という状況がまさにこれに当たるだろう。
 「熱いよう」と声を聞いた作業員は背後に横たわる悲惨な現場を前に仕事をしなければならないというある意味非日常的な状況におかれていた。そのことが彼の心理面に薄ら暗い影を落としたであろう事は想像に難くない。
 その中で自分の記憶の中にある火災事故と結びつき、錯覚を起こしてしまったのではなかろうか。また放射能という人体に危険のある物質を扱う仕事についている、という事もなんらかの影響を及ぼしているとも思われる。昼夜逆転の生活を強いられる彼らは必然的に闇との付き合いが深くなる。それは疲労とともにあるはずのない事象を知覚させる事になったのではないだろうか?
 こうして見ると、怪談ひとつとってみてもその背景が浮き彫りになる事は興味深い。
 著者もまた(本書は口承のハナシをおもな手掛りとして展開を試みたが、その根幹には、学校という近代が生み出した制度が横たわっているのを忘れてはならないと思う。10ぺージ)と述べている。
 学校と会社、もっとくだいて言えばプラントという巨大な近代装置の中での出来事という違いはあるものの、そこから生まれる口承からはシステムが生み出す独特の空気というものが感じられる。両者共システムが生み出す口承という事に関しての違いはないのではなかろうか。
(具体的な事象を、他の事象と比べ、一見関係のなさそうなものとの脈絡を考えられるのは、すぐれた抽象能力だ。)
 最後にこの現場を引き上げる事になったある事件について述べようと思う。
 工事期間終了まであと4日となった日、最後だからといって会社が打ち上げの宴席を設けてくれた。 
 3人のチームで動いていた私の担当する検査チームは期限が迫っていたが、他の2名は期限を過ぎても残る事が決定していたので私だけが参加することになった。
 宴会へ向かう途中、交差点で右折待ちをしていた車が何を思ったのが直進してきた我々の乗る車に突進して事故を起こしたのだ。運悪く運転席の後ろに搭乗していた私の場所に大型のランドクルーザーが激突した。夜風にあたりながら携帯電話を見ていたせいで不意を付かれた私は、全治二週間の怪我を負う事になりあえなく退場する事となった。
今にして思えば、怪談の『オチ』はついたわけだ。
 火災事故があった現場を担当していた人間が、誰かに名前を呼ばれる。振り返ると誰もいない。呼ばれた人間は交通事故に遭い怪我をした。と。
 図らずも私はプラントにまつわる怪談の発信者(当事者)となってしまった訳である。
 今後はこのハナシも口承によって語り継がれていくのだろうか?
 きっと今頃はこのハナシもネタにされているに違いない。
 ここで得た収入で民俗学を学ぶ事になった、という事実もまた、奇縁を感じさせるものではあるが。

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