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入学前読後レポート例(1)

学生たちこんなことしてます! 2009/01/29

形式的にすぐれたレポートの一例です。原文通りでなく教員が修正し、足りない所は赤字で注も入れています。引用は青字にしています。

『学校の怪談 口承文芸の研究Ⅰ』

京都・YU 
 口承とは、辞書によると「歌いついだり、語りついだりして、口から口へと伝えること、あるいは伝えられたもの。」や、「口承(口頭伝承)または口伝えの文化は、文字体系のない文明において、世代から次の世代へと歴史や文芸もしくは法その他の知識を伝達する方法である。」
(使った辞書の書名も記入すること)とある。つまりまだまだ文字のなかった時代にあることを伝えるために人が人に言葉で伝え、記憶の中で伝わってきたものである。しかし、文字のあるこの時代、あらゆる記憶手段がある。この現代においても、なお口から口へ物事が語り継がれるのはなぜであろう。口頭伝承とは何か、人が魅力と感じるものがあるからだと思う。それが何か得ようと思い、『学校の怪談 口承文芸の研究Ⅰ』を読ませてもらった。(冒頭に問題意識を掲げるのがとても良い)

 この本の構成は、3章でまとめられている。第1章は、「学校の怪談」であり、学校を中心とした怪談話。第2章は「現代のハナシ」であり、第1章とは違い社会の中の伝承で、社会の中で人から人へ伝わった話。第3章は、「笑い話と世間話の背景」。これは世間話に出てくる人物が世間話の中でどうやて他の地方へ伝わったか述べてある。まとめると、場所、環境、時代の中で口承がどう変化するか書いたものである。(全体をまず見渡しているのも良い)

 この本を読みもっとも感心したのが、第1章の「学校の怪談」である。子供たちは、怪談話が怖いくせになぜ自ら聞き、それを広げていくのか、その理由について、著者はこう述べている。
「何らかの抑制された感情を持つ子どもたちにとって、そこから切り離され、手にすることのできる自由な空間が、学校の日常と重なり合って存在する異界ではないかと推測している。そして、日常生活から生と死に関する体験が消えつつある現代、学校の怪談が呼びおこす恐怖は、かえって、なまなましい感情をあたえてくれる数少ない衝撃の一つであろうという。学校というシステムが生み出すストレスから解き放たれ、自由な異空間のなかで『生』を実感させる恐怖に、学校の不思議伝承の本質を読み取ろうとしている。」(P86~87)
 子どもたちは、学校という空間の中で、先生や勉強、成績等多くのストレスを抱えている。こういったストレスの発散の手段は、ゲームやスポーツなどがあるが、子どもたちにとってそういったストレスの発散は、まだ未熟な部分があるだろう。そんな中、人に怖い話をして、また、自分も新しい恐怖を味わうことでストレスを発散している。また、文字を読むのではなく、自分が通っている学校の身近な人から身近な話題として聞かされるから真実味がある。(本文を正しく引用し、それに続けて自分の言葉でそれを言い直している点が良い)
 
 私は恐怖とは、人があまり味わいたくない感情の一種だと思っていた。だから、なぜ人は自分から怖い話を聞きたがるのだろうか、と思っていたが、人からその話を聞くことは、恐怖、危険などを知り、もし同じ状況になっても、助かる方法を知ることができる。話を聞いていると、途中ハラハラするが、最後には危険を回避する手段を得ることができ、安心感が得られる。こういったところでストレスを発散することが、怪談が世の中に伝わる一つの要素ではないかと思う。

 口承とは、口による伝承であるから、話は変化する。聞き手の勘違い、新たな話に進化していく。その面白い事例が「赤い紙・青い紙」である。これは、
「よく知られたトイレの怪談でいろいろに変化して各地の小中学校で話されている。もし誤って不吉な色を選択すれば、たちどころに災難を被る。」(P15)
という内容である。場所によって選択肢が「赤・青」の2色から選ぶ場合と「赤・青・黄」の3色から選ぶ場合がある。他にもバリエーションがあり、(松谷みよ子『現代民話考 学校』に収録されている「赤い紙・青い紙」「赤い舌・青い舌」)など、色にまつわるトイレの怪談19例をもとにその組み合わされ方を分類すると、表1のようになる。

表1.トイレの怪談と色
(1)赤・青         (8例)
(2)赤・白         (4例)
(3)赤・紫         (1例)
(4)赤・青・黄       (4例)
(5)赤・青・白       (2例)

(これも引用なのでP15と頁数を示すこと、表や図を入れて理解しやすくする工夫は良い)

「赤が全ての組み合わせの基本色であることが読み取れる。赤のイメージはおそらく、血の印象と結びついて誕生したものと考えてよいであろう。」(P16)
 赤は危険色であり、なるほどとうなずける。赤の反対は安全色、青であるからこの辺が発祥であろう。ただ伝承される中で、青も安全色でなくなり、血の気を失った死の色となったのである。こうなるとどちらを選んでも不運、そこで色を変えた、追加した(P15~16)とあるが、こういった変化が口承文芸を調べる上で、非常に面白く興味が出てくる。他者が考えた話も、違う者が聞けば、矛盾が出て来、それを回避するために結果が変わったり、内容が変化していくのは面白いと思う。また、地方によっては、普通安全色と思われる青が、危険色だったのかもしれない。
 さらに海外に目を向けても、同じような話があると思う。ただ、日本の地方以上に風習、宗教的考えが違う海外の国では、同じような話も、とらえ方が異なったり、使用されている題材が違ってくるだろう。そういった話を比べて見ても面白いと思う。(文化人類学の考え方です)

 第2章では、学校以外の口承伝説がいくつか紹介されている、虫の知らせ等は良く聞く話である。例えばカラス鳴きとハナシの創造の
「教室で私はたまたまA子と親しい女生徒(B子)と話していた。とりとめのない会話だったが、途中、話題がA子の父親の死におよんだとき、彼女は急に声をひそめて『A子さんのお父さんが死ぬ前の日に、カラスがすごくおかしな声で鳴いたんだって」とつぶやくように言った。『そう、誰がそんなことを言ったの』と聞きかえすと、B子の言うには、カラス鳴きの悪いのに気づいたのは母親で、死後近所の親しい人に話しているのを耳にしたのだという。このとき、私はB子の話に小さな戸惑いのような驚きを感じていた。というのは、じつは私自身、A子の父が死ぬ前日、カラスの異様な鳴き声を聞いていたからである。その日、校庭のフェンスに集まってきた数羽のカラスがガァーガァーと異常に甲高い声で騒ぎたてている光景を目にして、不吉な予感がよぎったのをはっきりと記憶していた。」(P96~97)
等である。しかし「その殆どは後で考えたらあの時」といったものであり、予め親しき人の死が予想される場合そのことが「虫の知らせ」に思えるのであろう。そういった話も一人の体験では成りたたないが、何人かが同じような体験をすれば「虫の知らせ」ということとして成立していく。

 書承文芸では、一度書かれた話は、その本が残る限り変化はしない。また似たような書承文芸もあるが、口承文芸と比べてみると種類は少ないと思う。口承文芸とは、口から口へ伝えられ、また変化する不安定なものだと考えていたが、変化、進化があり、それを語り継いできた人々の考え方、風習等が織り込まれ熟成していく。だからこそ、地方の話を集め比較することは、その土地の人、風習、時代の背景等いろいろなものを察する有効な方法だと思う。だが、口承文芸は、語り手の減少とともに衰退している。口承文芸は人の口から聞くしか方法がないので、話を集めるのは困難かもしれないが、今のうちに少しでも多くの話を記録することはとても重要なことだと私は思う。

(「学校の怪談」から口承文芸の重要さと面白さを読みとったのは、適切な読み方です。これを自分自身の具体的なできごとにも応用してみて下さい)

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