オオカミ信仰の寺社について

学生たちこんなことしてます! 2015/04/11

オオカミ信仰の寺社について
T・I

1.はじめに
 本稿では、旧丹後国の大川神社を中心に、旧丹後・若狭におけるオオカミとその信仰について記述する。

2.オオカミについて
 オオカミは、哺乳綱ネコ目イヌ科イヌ属に分類される哺乳類である。主に北半球の北の部分、ヨーロッパ、アジア、アメリカの各大陸に生息し、北方産のものほど体が大きく、南方に行くにしたがい小さくなる。
 高地、森林、草原などに棲息し、主に群れでの狩りを行い獲物を捕らえる。オオカミのエサとなるのはシカ、イノシシ、ネズミなどの他にヘビ、カエル、小鳥なども含まれる。
 日本列島にはかつて、北海道のエゾオオカミと、本州・四国・九州のニホンオオカミの2種類のオオカミが生息していたといわれている。このうち、エゾオオカミは主食のエゾシカの乱獲による減少に加え、害獣として駆除の対象となったことによって明治22年(1889年)に絶滅したとされている。一方、ニホンオオカミは、主に環境の変化が原因で明治38年(1905年)に奈良県東吉野村鷲家口で捕獲された個体を最後に絶滅したとされている。
 現存する日本産のオオカミの剥製は、エゾオオカミが北海道大学北方生物圏フィールド科学センター耕地圏ステーション植物園に2体、ニホンオオカミが国立科学博物館、東京大学農学部、和歌山県立自然史博物館、オランダ・ライデン国立自然史博物館に各1体で計4体分である。
 ニホンオオカミの特徴には以下のようなものが挙げられる。
・イヌより大型でやせ形。推定体高は56~58cm。
・前足が比較的短く、世界最小のオオカミ。
・吻部が短く、幅広い。
 また、若狭三方縄文博物館の学芸員、小島秀彰氏によると、狛犬や絵馬などにオオカミが描かれる場合はオオカミの爪や牙が描かれており、これがイヌやキツネと区別する際の判断材料になるという。事実、オオカミの頭骨に対する切歯の大きさはイヌのそれよりも大きいという。

3.丹後のオオカミ――大川神社
 ここでは、旧丹後国地域に鎮座する大川神社について記述する。
 ⅰ.舞鶴市大川
日本における狼信仰は、縄文時代ごろの遺跡からの出土品や、三峯神社などに代表されるような比較的有名な寺社等のために、東日本の印象が強いが、西日本に無かったわけではない。その西日本のオオカミに関する信仰の一つが、京都府舞鶴市大川に鎮座する大川神社に見える。大川は周りを山に囲まれており、その周辺に家屋があり、平地の多くを田畑として利用している。この大川神社では、オオカミは神の使いとされる。
 大川神社の主祭神は保食神を主祭神として祀っているが、案内板には以下のような伝承が記されていた。

 「人皇第二十三代顕宗天皇の元年(484)3月23日、由良の浜の漁夫、野々四郎というもの、孤舟に掉さして波濤に釣糸をたれていた。夜三更に至って風さわやかに雲晴れ、清らかな月は海を離れて潮の音も静かに、漁火幽かにたゆたうとき、俄然一道の光輝がさすよと見るうち、金色の鯉に乗った霊神が左手に五穀を、右手に蚕種を携えてあらわれた。霊神のたまわく『我扶桑上古の神である。永く大川の里に鎮座してこの地方を護らん。汝すみやかに行きてこれを村長子に告げよ』と、御姿は雲霧のように消えた。野々四郎急ぎ帰り大川の里人に告げると、里の人々恭しくこの地に祀った。翌年三月二十三日このこと天聴に達し、神廟造営のご沙汰があった。同年九月二十八日神殿に移し、丁重な祭礼が行われた。それから岡田の荘は五穀よく実り、養蚕の業もますます栄えるに至った。」(野々宮神社移転予定地案内板より)

上記の伝承から、大川神社の祭神には農耕神としての性質があることがわかる。そのため、田畑を荒らし、農民にとっては害獣であるイノシシやシカを駆除する動物として、オオカミを神の使いとしたと考えられる。
また大川神社は、かつては現在よりも山寄りにあったためオオカミがよく哭いたが、現在の場所に移動したところオオカミが哭きやみ、五穀豊穣が成ったとも伝えている。現在の場所でも徹光山東山腹に階段状に社殿や拝殿が並んでおり、かつてはさらに山の奥に鎮座していたものと思われる。
大川神社には小さな石の狛犬が伝わっており、かつて獣害に悩む農民が持ち帰り、獣害を収めるために使ったという。また、その後は護符を配るようになり、石の狛犬は使わなくなったという。今回の調査では、神社側の仕事の都合により残念ながら見せて頂く事はできなかった。
 大川神社の境内には狛犬が合計4体あるが、どの狛犬も一般的な獅子狛犬の形をしており、オオカミらしさは感じられない。
写真1 

 ⅱ.宮津市須津
次に京都府宮津市須津に鎮座する大川神社について記述する。ここは、北近畿タンゴ宮津線の駅である岩滝口駅から北西方向へ徒歩3分ほどの場所にある。周囲には住宅も多いが、田畑として利用されている土地も多い。この神社には案内板等は無く、祭神も不明。小さな神社であったが、本堂は小さな山の頂上に建てられており、狛犬が明らかにオオカミであった。社名と狛犬の形からおそらく、舞鶴市の大川神社と同系列の神社であろうと思われる。また、この地域は海抜が5mほどであり、大川神社が津波避難場所とされている。
写真2 写真3 写真4

 ⅲ.舞鶴市堀
 最後に、舞鶴市堀の大川神社について記述する。
 この大川神社は、今回調査した3つの中で最も小さな神社であった。
 ここでは残念ながらオオカミに関連するものは見付けることはできなかった。しかし、鎮座する場所は前述の二社と同じく山の中であった。特に舞鶴市大川の大川神社に近い形で、それほど奥深くないところに建てられていた。しかし、祠や鳥居がまだ新しいものに見える為、大川の神社と同じくこちらも元は山の奥深くにあったものを現在の場所に移したとも考えられる。
写真5

4.若狭のオオカミ――向陽寺
 先述の丹後では、神社とオオカミが深く関わっていたが、若狭にはオオカミとゆかりある寺がある。それが現在の福井県若狭町藤井にある向陽寺である。この寺は藤井山に建てられており、そのふもとには広大な田園地帯が広がっている。
 別名狼寺とも呼ばれるこの寺には、開基である大等一祐禅師とオオカミにまつわる次のような話が伝わっている。

 大等一祐禅師が山奥で座禅中に、オオカミが現れた。そのオオカミが禅師の周りを回るため、不思議に思った禅師が「お前は私を食べに来たのか」と尋たが、オオカミは大きく口を開けて苦しそうに回るばかりだった。そこで禅師がオオカミの口の奥をよく見ると、人間の骨が刺さっており、この骨を禅師が取り除いた。そして禅師はオオカミに、これからは人間を襲わず、寺を守護するようにと諭した。それ以来オオカミは人を襲わないという。

 この話ではオオカミは明らかに人間に害をなす動物として描かれている。そのオオカミを僧侶が諭し、寺の守護としている。先述の大川神社とは少し趣が違う形である。
 向陽寺にはオオカミの位牌や、木像、爪などが現在でも伝えられており、かつてはオオカミの護符を出していたという。
 現在の向陽寺は藤井山に建てられているが、以前は現在地よりもさらに山奥にあったのだという。残念ながら土砂崩れの影響で道が閉ざされてしまい、その場所と大等一祐禅師が座禅をしていた岩には行くことが出来なかった。
写真6 写真7

5.まとめと反省と課題と
 今回は本稿を執筆するにあたり、オオカミを主題とした。2014年の歴史民俗学専攻の小浜合宿での調査と、新たにフィールドワークに行った旧丹後国地域の大川神社の調査を合わせて記述した。二つの地域で行ったフィールドワークで気づいたことが一つあった。それが、向陽寺にしても大川神社にしても、それぞれの地勢が似通っている点である。山に囲まれた地形の、その山の一つに寺社が在り、その付近に住宅が密集し、平地の大部分は田畑に利用されている。また、向陽寺での聞き取りの際に、禅宗の寺院は山のふもとが多いという話があった。しかし、向陽寺は現在地は山の中であり、またかつてはさらに山の中に在ったということであった。また、舞鶴市大川の大川神社も元は山奥に鎮座していたという。
 このことから一つの仮説を、まだ大いに不十分ではあるが立ててみた。大川神社の項でオオカミは農業の害獣を駆除することから農耕神の使いとされたのではないか、と述べたが、これは全くの逆だったのではないかとも思えてくる。というのも、もともと“山の神”としてのオオカミが信仰されており、それが日本の神々が人格神に取って代わられるようになった結果、動物の姿をした神であったオオカミ神は消え、人格神の神使となり、あるいは仏教の影響で寺院の守護とされたりして、その姿がかつての神としての名残りなのではないだろうか。また、向陽寺も大川神社も元は山の奥にあったということが大きな手掛かりになりそうである。稲作が始まるより以前か、あるいは稲作がまだ大規模でなかった頃に、山の神としてオオカミを祀るのが山の奥にあり、稲作の発展と発達に伴い山の奥よりも、田畑や住宅地に近い場所の方が便が良いために移された、という仮説はどうだろうか。
 しかしまだまだ、大いに考察の余地はあり、完全に説明もできないため今後の課題としたい。特に向陽寺のほうには山奥に神社や祭祀施設があったという資料がないため、現在の所説得力は薄い。
 また反省としては、フィールドワークの不十分さがまず第一にある。京丹波町に残るオオカミの伝承と、それの供養塔があることを知ったが、時間と金銭面の関係でそこに行くことが叶わなかった。また、同じ京丹波町の安栖里駅付近に狼石という地名があることを調べたが、こちらも実際に行くことはできなかった。
 もう一つの反省としては、資料が不十分だったことである。宮津市と舞鶴市堀の大川神社についての資料が手に入らなかった。そのため祭神も創建も不明のままである。今後、図書館等での資料調査が必要であると考えている。
 しかし、オオカミは不思議な魅力を持った動物である。調べれば調べる程、オオカミの魅力に取り憑かれてしまいそうになる。いや、むしろもうすでに憑かれてしまっているのかもしれない。向陽寺に伝わる木像は、個人が伝承を聞いて制作した物だそうで、その方もまたオオカミの魅力に取り憑かれていたのかもしれない。もしかするとオオカミを信仰した昔の人々もこの不思議なオオカミの魅力に憑かれていたのかもしれない。そのような事を考えるだけでまたオオカミゆかりの地に出掛けてみたくなる。まだまだ一般に知られていないだけで、もっとローカルな所に狼信仰の名残りが残っているように思う。そうした場所を探し出し、是非とも足を運びたいと考えている。ますますオオカミの魅力に取り憑かれてしまいそうである。
ところで、キツネ憑きにたいしてオオカミの護符が使われていたこともあったようだが、オオカミ憑きには何の護符を使用すれば良いのだろうか。
 
参考文献
『オオカミと人―自然からの護符― 展示図録』 平成24年 若狭三方縄文博物館
『向陽寺縁起 お寺のはじまりのお話』 1986年 常田幸一
『京都府の地名』 1981年 平凡社
スポンサーサイト
| FC2 Blog Ranking
| HOME |
07 | 2017/08 | 09
S M T W T F S
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

OTHERS

TAG