小松和彦著『妖怪文化入門』読後レポート

学生たちこんなことしてます! 2013/04/20

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小松和彦著『妖怪文化入門』(角川ソフィア文庫)読後レポート
Y.N

(1)はじめに
 ”妖怪”という動物でもなく、単なる漫画や絵本のキャラクターでもない不思議な存在に私は物心ついた時から惹かれてきた。様々は容姿・特性を持ち、日本に限らず世界各地にも多く伝えられている一つ一つの詳細が/、\私にとって大変魅力的だったからである。そして成長するにつれて、妖怪とはどのように生み出されてきたのかを考える様になった。
 人間の不安や畏怖、信仰と密接に関わっている彼らは、いつの世も怖い又は気味の悪いモノとして/、\人々の文化に絶えず併走してきた。それは鬼、天狗、河童といった日本古来から迷信や昔話として伝えられている妖怪だけに留まらず、各メディアが発達した現代においてもなお(発達したからこそかもしれない)、口裂け女や怪人赤マントといった妖怪伝承(都市伝説)が広範囲に流布されていることが証明しているだろう。
 小松和彦氏(氏はレポート中では不用)は本書で長い歴史の中に築かれてきた妖怪文化を辿り、妖怪を形作ってきた日本人の心性を追っている。

(2)妖怪概念
 日本人は/、\ある限られたイメージの中で妖怪』(こういう時には『二重括弧』は使わない。以後「一重括弧」に代えておく)を独自の文化にまで昇華させてきた。そもそも、妖怪という言葉はその意味があやふやであり、真の姿をなんとも捉えづらい。そこで小松は本書で(1)出来事としての妖怪」「(2)超自然的存在としての妖怪」「(3)造形化された妖怪の3つの意味領域に分けて/、\「妖怪の孕む曖昧さの解消を行っている。
 まず(1)出来事としての妖怪(現象―妖怪)は、ある種の怪異体験をした人物が感じた恐怖や不安、神秘感などから生れ出た物である。天狗倒しや小豆洗いなどの音の怪が例に挙げられる。
 たとえば、里の者が炭焼きや焼き畑等の仕事をするために山にでかけて小屋に泊まる。夜中に、近くの川から、川の音に混じって、奇妙な反復する音がする。翌日、音が聞こえたあたりにでかけて音の原因を調べたがわからない。土地の人びとのあいだでは、そのような怪音現象は小豆を洗っているときの音に似ていると言うので、「小豆洗い」と呼ばれている。あるいはまた、山奥からコーンコーンと木を伐っているような音がしたあとに木が倒れるような音が聞こえる。翌日、音が聞こえたあたりを調べてみても、木が伐られた様子がまったく見られない。これを「古杣」とか「天狗倒し」という」(P8.2←これは何の数字?行数だとのこと、不用
このように、土地の人々の体験した怪異(現象)に名付けを行い、共有化を図っていったのである。
 第二の意味領域となるのは(2)超自然的存在としての妖怪(存在―妖怪)である。多くの場合、怪異体験談は語られる際に、その怪異現象を引き起こす原因として神秘的存在が持ち出される。 ↓行カエルたとえば、「狸囃し」(という妖怪現象)は「狸」(という妖怪存在)が引き起こしたものである。すなわち、妖怪という語は怪異現象だけではなく、このような現象を引き起こした神秘的な存在(生き物)をも意味しているのである」(P9.13不用
 また、日本の神秘的存在を考える上で忘れてはならないのが、自然物には霊魂が宿るとするアニミズム(自然崇拝)だ。これが根本にあるとすると、こうした神秘的存在は日本人の神観念が黎明を迎えた頃から存在すると言っても過言ではなかろう。小松はそのアニミズム的観念の中の人格化された霊魂と諸々の霊に対する祭祀を例とし、霊魂を制御されているもの(祭祀されている超自然的存在」「制御と非制御の間をさまようもの」「制御されていないもの(祭祀されていない超自然的存在)に分けて考えている。
 前述したとおり、古来の人々は名付けによりその現象を呼称していたが、時代が過ぎるに連れて今まで妖怪現象だったものが妖怪存在となり、増殖していったのである。そのような多くの怪異現象が後に物語として語り継がれていった。そして中世になった頃、小松の言う新たな意味領域が発生する。
大さんの意味領域は(3)造形化された妖怪(造形―妖怪)である。「絵巻」という方法が開発されると、絵巻の中に鬼(『北野天神縁起絵巻』)や疫病神(『不動利益縁起絵巻』)が現れる様になった。さらに室町時代には『大江山絵巻』や『土蜘蛛草紙』などの妖怪退治をテーマとした物まで見られるようになる。後に絵師たちが絵物語の中に妖怪を描くと/、\次は木版技術が開発され多くの人々にこの造形化されたものたちが/、\広く流通した。その後、『付喪神絵詞』や『百鬼夜行絵巻』に/、\登場する道具の妖怪たち付喪神の姿が固定化され、一挙に増加。鳥山石燕の描く『画図百鬼夜行』シリーズも妖怪増加に貢献した。小松も本書で述べている通り、このような造形化は/、\妖怪を固定されたイメージにとらえてしまう事が問題であるが、妖怪の造形化は様々な領域に進出する道を開いたものでもあるのだ。しかし、現代の私達が抱く妖怪のイメージの殆どが/、\そこから来るものであることは確かである。

(3)妖怪文化研究の足跡
 本書には/、\これまでに進められてきた妖怪研究の一部が多く記載されている。この章は日本古来の妖怪に新たな角度から焦点を当てたものであるが、その全てに共通する事は/、\どれも”人間の心”が大きく関わっているということである。日本人の隠れた意識=心性が/、\長い年月を以って線を引いてきた結果がそれなのだ。人間には多様な者がおり、それぞれが多様な生活を送る。であるからこそ、その感情から様々な伝承が成り立つのだろう。
 たとえば、本書にある憑き物(P56)は「人や物に乗り移るという属性をもった霊はすべて「憑き物」なのである」(P57.12不用)とあるようにトウビョウやオサキ狐、犬神などの神霊による憑霊現象のことをいうが、その中に憑きもの筋といって特定の家庭を忌避する風習が含まれる。憑きもの筋とされた家は/、\その民俗社会(ムラ)の中で婚姻差別や誹謗中傷に見舞われた。
 そんな深刻な問題の最中、問題克服の為に憑きもの研究を行う石塚尊俊や速水保孝は/、\「憑きもの筋の中に、村での新参者又は経済的な急成長を見せたがために同じ村人の妬み、恨みを買う事になってしまった家筋の姿を見出した。この村人の心がいつしか”憑き物を使う家”というレッテルを貼り、村落全体の意識として浸透していったのだ。ここには共同体内部の経済面や家筋に纏わる部分が表されているが、これと並べて考える事ができるのが異人・生贄(P201)だ。
 ”異人”とは、ある境界から外に属する人々(定期的にムラへ訪れる山伏や六部)のことで、本書の中では共同体においての特定の家筋の盛衰と「異人殺し」の伝承が並べて説明されている。
 旅人が、とあるムラのとある家に宿を求める。その家に泊めてもらった旅人が大金を所持している事に気づいた家の主人が、その金欲しさに、旅人を密かに殺して所持金を奪う。この所持金を元手にして、その家は大尽になる。だが、殺害した旅人の祟りを受ける」(P216.6不用
上記の様な伝承を使ってムラの人々は家筋の盛衰に関する語りに/、\神秘的処理を施したのだ。
 ここにも「憑き物」同様、人間の欲深さ・特定の家筋に対する本来の醜さが垣間見える。人間の感情がいつしか神秘的力を持ちだして説明される様になる、これが伝承の有り方なのだろうか。
 ちなみに、「異人殺し」伝承のメカニズムについては小松の『異人論』(ちくま学芸文庫)に詳しい。
 その他、本書の中には我々日本人が何気なく、その存在を認知している存在についての研究論が記されている。河童(P107)(P131)天狗と山姥(P155)等がそれだ。
いずれも頭の中にイメージはあるものの、その言葉の意味を説明するとなれば誰もが頭を抱えるであろう。本書にもあったように、それらはメジャーな妖怪として姿形等のイメージが固定化されているが故にその中身を追及できないのかもしれない。
 まず、河童はカッパ、ミンツチ、メドチ、ヒョウズンボ、シバテン、エンコウ、ガラッパ、ヒョウスベ、ケンムン等(*アイヌのミンツチは神であるという)全国的にその名称が広く分布している。川辺で遭遇する特定の特徴をもつ怪異現象はカッパのカテゴリに分けられていった、と本書にもあるがやはり河童が語られる際はその特徴が重視されるようである。日本民俗学の父・柳田国男は河童の数ある特徴の中から駒引きにかつての水神信仰の痕跡、「零落した水神」像を見出した。
 全国に大きな広がりを見せる河童だが、「「河童」はその地域のなかでは、例え貧相に思えるようなイメージであっても、孤立した現象として存在しているわけではなく、その地域のさまざまな文化・社会現象や存在と直接的あるいは間接的に結びついて信じられているのである」(P129.7不用)とあるように、地域との関わりが非常に強い様である。これは河童だけに限らず、その妖怪伝承の地域性を見出す事が出来るのではないだろうか。
 「鬼」という語も、長い歴史の中で変化してきたものである。それ故に、「典型的な鬼」を考えるのが難しいのである。鬼の性格は”恐ろしいもの・残忍なもの・悪役”というのが世間一般で言う鬼のイメージだが、小松は本書の中で「こうした現代人が普通に思い描く鬼の意味とイメージを、私なりに言い直すと、「鬼」とは、日本人が抱く「人間」の否定形、つまり反社会・反道徳的「人間」として造形された概念・イメージという事になる。すなわち、「人間」という概念を成立させるために、「鬼」という概念がその反対概念として作りだされたのである」(P133・11不用)と述べている。その昔、朝廷に従わない人々を鬼として扱ったという話を聞いたり、非人道的な人物を指して○○鬼などと呼ぶ事があるが、そういった人間の裏側としての役割を「鬼」に託していたのかもしれない。
 また、雷や病などの当時では解明できない様な現象にも「鬼」が起こすものとして、その称号は与えられている。本書風にいえば、「鬼ラベル」は先の河童同様、ある種の特徴を持っていれば貼られる傾向がある様だ。鬼の場合、「頭に角がある」という特徴がある。秋田県男鹿半島のナマハゲ行事は現在でこそ「ナマハゲの鬼」であるが、本来は違うのだという。これは幕末にナマハゲ行事の調査を行った菅江真澄の記録に端を発する「鬼ラベル」なのであるという。しかし、そのラベルの下には土地の人々が行ってきた本来の/、\「ナマハゲ行事」が隠されているのだろう。
 マレビト研究を行った折口信夫は「おに」とは「祖霊」を表す語であったとし、鬼=祖霊という説を挙げている。鬼の正体について、本書で小松は次のように述べている。「鬼は、一言でいえば「恐ろしい存在」であり、「怪異」の表象化したものであった。田中貴子などがいうように、「怪異」あるいは「闇」は、「鬼」と名付けられることによって言語の世界にからめ取られ、「他者」として独立し、図像化されて、人間によって統御可能なものになっていったものであった」(P154.4不用) 上の田中が言う様に、人間の畏れは言語によって/、\その存在の形成が成されてきたのだろう。ここにも怪異の「名付け」作業が活きている。
 天狗・山姥はどちらも山の怪異におけるトップ/・\スタァである。
天狗のイメージとしては”鳶の羽をもち、鼻高く赤い顔の山伏姿”を想像するが、古来の日本では流星のことをそう呼んだそうで、『日本書紀』にも記述が残る。「「天狗」という語の初出は、『日本書紀』舒明天皇九年(637年)である。都の空に流星が現れ、雷の様な音を立てて東から西に飛び去った。人びとはこれを不吉な前兆と受け取ったが、中国から帰朝したばかりの僧が「これは流星ではなく、天狗である」と奏上したという記事である」(P160.1不用
 また、平安時代の説話集には/、\天狗は仏法の広がりを妨害する魔物として描かれており、道を外れた僧侶も/、\その天狗になると信じられていたようである。その一方で、天狗は修験道と結びつき始めていた様で、呪的な願いを聞いてくれる魔縁として「天狗祭祀」も行われていたという。全国の天狗伝承が霊山に近い場所に分布している事もあり、”天狗は山伏姿”という容姿イメージもここに繫がるものであろう。
 時代が変わると、政争に敗れた者まで天狗となり始める。保元の乱に敗れた崇徳上皇などがそれである。宗教だけにおさまらず、政治の世界にまで進出してきたのが、大きな変化だ。
つまり「天狗」は不思議な現象の説明装置として機能しているわけである。山の怪異を天狗の仕業にするということは、すでに天狗という語が登場した平安中期からの属性であったので、昔から変わらない属性といえるだろう」(P167.1不用
前述の様に、天狗のイメージ像は時代ごとに変貌してきたが、天狗は現在でも山の怪異の原因として有り続けている。「天狗倒し」など、山にまつわる怪異はある現象に基づくものが多いが、ここまで広がるというのを聞くと面白い。
 もうひとつ、山に棲むとされる妖怪に「山姥」がいる。本書には山姥は室町時代頃に文献に登場し始めたとある。山姥といえば、口が耳まで裂けた老婆=鬼女のイメージがある。地方によってその名や、姿に違いがあるが「人を取って食べるといった恐ろしい属性をもつとともに、人間が幸せや富を得るための援助者として働く好ましい属性を合わせ持った両義的存在である」(P170.15不用)とあるように、善悪両方の性質を持っている。さらに、本書にもある通りこの善悪のどちらが現れるかは民俗社会の一人ひとりの行動による様だ。
すなわち、倫理的に好ましい振る舞いをする者には富の授与者として示現するが、倫理にもとるようなことをする者には災厄授与者として示現するのである」(P171.12不用
以上の事を小松は、自身が蒐集した高知県物部村の山姥伝承を例に出して説明している。
 また、柳田国男は山姥を山の神が零落したもの、折口信夫は山の神に仕える巫女の姿を見出し、一定の時期に村々を訪れるという「マレビト論」の中でそれを説いた。こうした人々が妖怪視された結果なのかもしれないが、山姥と人間の共存する伝承もあることからそれも頷ける。
 山の怪異達は自然現象の説明装置として活躍したと同時に、人間社会を象徴している存在だったのである。

(4)最後に
 まず、本を読んで著者の考えを掴み取るという作業は難しいものであった反面、時間を掛けてじっくり読んでいる内に様々な興味が湧く面白いものでもあった。今回レポートを書いた妖怪文化は、私に民俗学への興味を引きだしてくれた古い友人でもある。今までに多くの研究者たちの残した足跡を読んでみて更に惹かれた/、\妖怪という存在を生み出す”人間の心性”それについてこれから、考えを巡らしていくというのは非常に楽しみである。
 もちろん、私は妖怪だけが民俗学と思っている訳ではない。当面の私の目標は”様々な分野に首を突っ込む事”だ。高校でも民俗学研究部として活動しているが、今回で私は未だ民俗学に近付いてするいないのだと実感した。自分の夢に恥じぬ様、もっと視野を広げて、大学での研究の日々に備えていきたい。







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