妖怪の特性

学生たちこんなことしてます! 2013/04/04

入学前レポートの優れたものを収録する。WEB上で見やすくする為に字の色を変えている。赤字は教員のコメント・訂正、青字は引用である。

妖怪の特性
 H.K  全体的に句点が足りない。//のところは句点を打つ。煩瑣なので略すが以後の文も同じ。
 私は三つの課題図書の中から小松和彦著作の『妖怪文化入門』を選び、これを読了した。私はこれまでに//妖怪に関した本をあまり読んだことが無かったので//興味深いことや面白いことがいろいろあった。が、それでも私は今まで知らなかったことに触れることが何よりも楽しいと感じた。例えば私は「憑きもの」というものは多少知っていても//「憑きもの筋」というものは知らなかったし、「妖怪の定義」なんて考えたことも無かった。「河童」や「鬼」については多少は知っていても//「異人」や「境界」についてなどは聞いたことが少しはあるといった程度で全く知らなかったと言ってもいい。無論、それらの研究の過程などは全く知らなかった。そして、私はその今まで知らなかったことについて考えを巡らせることがとても楽しかったのだ。そうして私が考えたのは、知られている妖怪と知られていない妖怪の違いは何だろうということだった。この問題意識がよい。今回は私が無知だっただけだと自分で思うが、それでも今なお多くの人に知られている妖怪と今ではあまり知られていない妖怪がいるのは確かである。私はこの違いは何なのかと考え、いくつか候補を思いつき、その中で最も興味深かった候補でより深く考えを巡らせてみることにした。その候補とは「妖怪が持っている特性が現代において通用するかどうかの違いではないか」というものである。
 まずは「妖怪」そのもので例えてみよう。妖怪を一言で表すと「妖怪を定義することはむずかしい。しかし、あれこれ考えるよりも、ここはまず文字通りに理解して、『あやしいもの』や『あやしいこと』、つまり『怪異』というふうに理解しておくのが無難である」(p87)という文から「怪しいもの」だと思う。なお、一言で表すということはそのことを最も簡単に説明することだと思うのでそれを特性として考えても問題ないと私は考える。なので「妖怪」の特性を「怪しいもの」として、その特性が現代で通用するかを次に考える。現代で「怪しいもの」は都市伝説などを調べてみると分かるようにとても多くある。つまり妖怪の特性である「怪しいもの」は現代でもは通用しているのだ。なので「妖怪」は現代でも廃れずに生き続けていると考えられる。という以上の考え方を使って有名な妖怪の例として河童と鬼を用い、そしてあまり有名ではない妖怪の例として件を用いてその妖怪の特性が現代で通用しているかどうかとその理由を考えていこうと思う。
 まずは最初に河童から、河童は「したがって、もしこうした特長を有する『怪しい生き物』に水辺で出会ったら、昔の人の多くはそれを『河童』と語るはずである。」(p108)という文から私は一言で表すと「水辺の怪しい生き物」だろうと思う。そしてこの「水辺の怪しい生き物」は現代で通用していると私は考える。なぜなら二十世紀にはネス湖のネッシーが流行ったし、海の奥深くの深海はまだまだ未知で溢れている。二つとも現代の「水辺の怪しい生き物」として考えられるだろう。そして特性である「水辺の怪しい生き物」が今なお通用しているために河童は現代でも生きていける妖怪だと私は考える。
 次に鬼を、鬼は「鬼は、一言で言えば『恐ろしい存在』であり、『怪異』の表象化したものであった。」(p154)という文から私は一言で表すと「恐ろしい存在」だろうと思う。そしてこの「恐ろしい存在」も私は現代で通用していると考える。なぜなら「恐ろしい」というのは人間が人間であるために必要な最も重要な感情の一つだからだ。人が人である限り「恐ろしい」という感情は消えないし、それに伴って「恐ろしい存在」というものも消えることは無いだろう。なので特性が「恐ろしい存在」である鬼は現代どころか未来でも生き続けていける妖怪だと私は思う。
 最後に件だが、件という妖怪がどんな妖怪かということをまず大まかに説明をしておこうと思う。件(くだん)とは牛の体でありながら人の顔をもっており、生まれて数日で死んでしまうが生きている間に近々必ず起きる予言を残すという妖怪だ。そんな件を一言で表すと「予言を残す」だと私は思う。なので件の特性は「予言を残す」なのだが、先に言ってしまうと私はこの特性は現代では通用しないと考えている。なぜなら昔に比べて現在では「予言」の重要性が下がっていると思うからだ。
 私が以上のように思うのは三つの理由がある。一つ目は脅威が減少したことによって日本人の危機感が低下したことだ。件という妖怪が資料としてではなく人々の間に噂として生きていた頃の日本では凶作や干ばつ、流行り病などの起これば多くの人が苦しみ、死んでしまうような事柄が多かったし、戦争だって多くあっただろう。だが今現在はそうではない。物が少なくなったのであれば国外から輸入するなどの様々な方法があるし、既存の病気の多くには対抗策や薬がある。そして少なくとも日本国内では半世紀以上も戦争をしていない。つまり現在では凶作も干ばつも流行り病もあるが昔ほど脅威ではないし、致命的でもないということである。それによって人々の危機感が低下し、共に脅威を予めに知らせてくれる「予言」の重要性も低下してしまったのではないかと私は思う。
 二つ目は予言の信用性の低下だ。予言の信用性が低下した理由の説明を人に聞けば多くの人は「科学という分野の成長によって幽霊や超能力、魔法などのものが科学で説明出来ないオカルトとして多くの人々からの信用を失った。予言もその一つである。」といったことが返ってくるのではないだろうか。しかし私は科学で説明出来ないから信用を失ったのではないと思う。なぜなら「今は証明出来ないことをこれから証明していく」のが科学なのだから「説明出来ないからありえない」と言い切ってしまうのは道理に合わないと思うのだ。なので私は予言が信用を失った最大の理由は怪しげな宗教や詐欺などに利用されてしまったことだと思う。つまり怪しい人に怪しく使われてしまったために「予言」という事柄に強く怪しいというマイナスイメージが付属してしまい。いつの間にか予言=怪しいものという共通認識が出来てしまったから信用が低下してしまったのではないかと思う。そうして信用が低下することと同じに重要性も低下したのではないだろうか。
 三つ目は予測が進歩したということだ。昔は予測するといっても天気が少し先までわかるといった程度だろう。だが現在では天気は晴れや曇りといったことだけでなく気温、湿度、気圧などが一週間先まで予測できるし、地震は断層や過去の歴史から「そろそろ来るかも」というレベルで予測が出来るようになった。なにより人工衛星があるおかげで台風がいつ頃どこに来るかはよく分かるようになりそのおかげで昔に比べ台風は事前に対処が出来る分脅威ではなくなった。その上それだけに留まらず予測はまだまだこれから進歩するであろうことがわかるのだ。それにくらべて予言はつねには頼りに出来ず、正確さも欠け、根拠も無いし、進歩することも無いだろう。つまり予測は予言と似ているが予言よりも優れているのだ。なので予言よりも優れたものが出来たために予言の重要性が低下してしまったのではないかと私は思う。
 以上の三つの理由で「予言」の重要性が下がりそれに伴って、件の「予言を残す」という特性も現代では通用しなくなってしまったと私は考えている。
 今でもなお多くの人々に知られている妖怪の河童や鬼の特性は現代でも十分に通用するもだった。が、今ではあまり知られていない件の特性は現代ではもうあまり通用するものではなかった。もちろんたったこれだけの考えで「これが現在、妖怪の明暗を分けている」などと言うつもりは無いが、現代で妖怪を明暗に分けている原因の一つ位にはなれるのではないかと私は思う。
以上の文で予言の重要性が下がっているとあるのに、以下ではまだ生き続けているというのは論旨に矛盾しているのではないか。
 なぜ毎年の年末年始やお盆には幽霊や予言といった「オカルト」の特番が組まれるのだろう。それはやはりある程度の視聴率が取れているからだと思う。なぜ科学が進歩してまず無いとされるものが視聴率を取れるのか。私はそれは多くの人がそういったものがあって欲しい、もしくはあってもおかしくないと心のどこかでは思っているからだと思う。そう考えると私は予言や幽霊、妖怪などの「オカルト」と呼ばれるものは一種の夢なのではないかと思う。いまだ見ぬ未知であるから可能性(夢)の塊だからこそ今なお人々の心に生き続けているのではないかと私は思う。

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