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『絵巻物に見る日本庶民生活誌』読後レポート

学生たちこんなことしてます! 2012/05/25

赤字は教員コメント、青字は引用です。

『絵巻物に見る日本庶民生活誌』読後レポート
M.H


→一字下げて始める。本書は日本人の生活の様式、及びその変遷等について絵巻物を通して考察するというものであり、時代ごとの対外事情や著者の生きた時代の事柄等も比較、関連させながら考えを広げている。本書では主に庶民の生活について触れており、特に著者が重視しているのは民衆の活気、明るさといったものだ。それについては絵巻物の場面の中に見られる同時代の貴族の生活と比較しながら書かれており、中でも著者は年中行事の有様から庶民と貴族とを比較している。
たとえば闘鶏は宮中であったようであるが、民間でも行われている。しかも民間の闘鶏のほうがはるかに活気がある。多くの者が鶏を鳥籠に入れるのではなく、腋にかかえてやって来て、たたかわせている。祇園の御霊会などにも民衆の参加があった。田楽を踊る者、獅子舞、標を持つ童子などは民間からの参加であろうが、それが御霊会をにぎやかなものにしている。稲荷祭の日には子供たちが川をはさんで石打をしているが、それはまた正月や端午の節句にも見られた。殺風景だが大変活気があった。正月には毬杖も見られた。」(P6)ネット上では青字にすればすむが、レポート上では引用文は地の文より2字下げる。
→ここも一字下げて始める。
著者は民衆の生活が恵まれたものだったとは考えていない。しかし、都に住む者たちは貴族の生活や彼らの演出する祭を見物することから始め、次第にそれをまねるようになり、やがては民衆が祭に参加するようになった。そうして賑やかになり、活気を帯びた祭は儀礼的なものから遊びの要素を多くしていったのではないかと著者は考えている。日本は諸神祭祀の国であり、その王朝は祭祀のために成立した。王朝の支配階層、すなわち神に祈る人々は穢れがあってはならなかった。
それにしても、祈るにあたっては能力もあり効果もある人が重要であった。土に生き、土の上をはいずり回っているような百姓たちはケガレが多くて、その能力は乏しいと見られ、ケガレなき人、ケガレなき生活をしている人たちにその能力があると見られた。ミヤビということばはそういう人たちの生活を表現したものだろう。」(P205)
ここも引用文は二字下げにする。
→一字下げて始める。
神仏の祭祀は平和、豊作、無病息災を祈願するものであるのだから、当然厳かなものであったろう。それが民衆に吸収され、現在のような活気ある祭になったと著者は考えている。
行ツメル。→一字下げるまた、本書では民衆の生活は極めて開放的なものであったと捉えられている。一言で言えば、先述の土に生きるということだ。
土下座というと、きわめてみじめな姿を想像するけれど、どこにでも坐るということは、それほど生活が自由闊達であったといってよかったかと思う。身分の高い公家でないかぎり、地下人といわれる者はほとんど大地の上に坐り、また腰をおろしている。京都付近は土質が砂壌土で、土の上に坐っても着物がそれほどよごれなかったためかもしれないが、大地にあぐらをかいてこそ人びとはある安心感を持つことができたのではなかろうか。」(P9)引用文は二字下げにする。
→一字下げて始める。
著者は、そうした民衆はある程度のマナーを理解していたと述べている。民衆は公家社会の秩序の外にあり、その秩序を乱さなければ役人に咎められるということはなくなればこそ民衆は自由であった。また現在の言葉でいうポイ捨てもほとんどなかったようだ。下線の部分不要。改行する。
 土に生きるということで、もう一つ。それは裸足の生活だ。平安時代、履物があまり復旧普及のまちがいしていなかった頃の民衆は裸足の生活で、家に入って座敷に上がる際も足を洗わない者が多かったという。自然とともに暮らしていたのだろう。公家には公家の世界があり、民衆には民衆の世界があったということが、戦国時代のような内乱を百年も続かしめたとも著者は指摘している。
→一字下げて始める。開放的な民衆の中でも、子供は殊更であるように思う。絵巻物の中の子供は裸で生活しているし、明治時代に制限されるまでは屋外でも裸が普通だったという。昭和二十年以前には子供を裸で育てる風習が残っていたというから驚かされる。この昭和二十年以前、つまり終戦前まではこうした開放的な習俗が残っており、絵巻物に描かれている複雑な器具やルールを必要としない遊びも地方の至る所に残存していたという。敗戦を機に、様々なものが変わってしまったのだろうか。とくに高度成長期 行ツメル
→一字下げて始める
本書における日本の民衆の捉え方の三つ目の特徴として、想像力の豊かさが挙げられる。それを物語る理由の一点目は理想郷の存在を信じていたことだ。平安時代には極楽浄土が理想郷とされたが、これは貴族文化としての意味合いが強かったかもしれない。本書には
それとは別に、一般民衆は海の彼方に現実の理想の世界のあることを信じていた。ただし、このような幻想は東北日本の人びとは持つことが少なかったようである。一つには日本人の祖先の中に南の方から海を越えて来た者が少なからずあったことによる、故郷回想が幻想化していったものであろうが、今一つは中国に見られた蓬莱の思想の日本への伝播によるものでもあったかと思う。そのような幻想は、画家たちの頭の中にあったものが描かれたのではなかっただろうか。そして民衆は、画家たちの絵や宗教者の説話を通して、自分たちの住む世界の外側にあるもう一つの世界を具体的に頭に描くことができたのである。」(P25)引用文は二字下げる。とある。著者はこの常世と呼ばれる思想について、日本の文化がそのまま海の彼方の中国へ繋がっていることを物語る思想であると考えており、また、昔は中国社会を見ることのできる日本人は少なかったため、絵画その他によって想像し、そこに人を配置して理想の世界を夢見たのだろうと述べている。しかし、中国的社会に理想郷を求めながらも、そこに描かれている人々の生活様式や行動しているさまは甚だ日本的であり、これはそのまま当時の日本の風景であったと著者は推測している。
→一字下げて始める民衆の豊かな想像力の理由、二点目は夜の世界だ。「一遍上人絵伝」著書は『』で囲むに描かれている夜のさまは深刻で、一般民衆の生活には夜の明かりすらほとんどなかったという。暗闇のために夜は神秘的なものとなり、またおそるべきものともなった。「百鬼夜行絵巻」著書は『』で囲むでは多くの民具が化けて出て、夜の世界で思い思いに動き回っているが、得体の知れない夜ならではの発想であろう。夜の闇は人々の恐怖を煽ると同時に、その想像力をも活性化させたのかもしれない。行ツメル
→一字下げて始める。
先にも触れたが、本書において著者は民衆の明るさを強調している。本書冒頭には、「絵巻物を見ていてしみじみ考えさせられるのは民衆の明るさである。」(P4)と述べられている。しかし、明るいばかりが習俗?ではない。当然のことながら、そのむごい部分、生々しい部分についても触れられている。特に大きく挙げられているのはやはり武士にまつわるもの、斬首の習俗だ。
 「源平の合戦のころから、戦いに敗けた者の首を斬ることはきわめて一般的な風習になっていったようである。斬首の慣習はもともと日本だけにあったのではない。異民族の中にもみられ、早く台湾の高地民の間にあったことが知られている。首を斬ることによって相手の息の根を断ち、生命の再生のないようにすること、首そのものに呪力があり、また敵となるものの首を持つことがみずからの幸福を守ることになるのだと考えられたようである」(P52)引用文は二字下げる。
→一字下げて始める。
敗者が首を斬られること、そして身分の高い者の中には部下に首を取らせ、敵に首を奪われないようにした者がいたのは知っていた。だが本書を読んで驚いたのは、その首が誰であるのか知れないよう、部下は主人の顔の皮を剥ぎ取っていたということだ。昭和二十八年に鶴岡八幡宮一ノ鳥居と由比ヶ浜中間の道路の東側の砂地の発掘が行われた際、五百体を超える人骨が見つかったという。その中には頭骨だけのものも少なからずあり、ある箇所では頭骨だけが百六十もかたまって出てきた。著者はこの発掘者との談話を通じて、そして発掘の報告書を見ていろいろと考えさせられたという。文字の書かれた頭骨や明らかに斬りつけられたと思う刀創のある頭骨、さらには肉を掻き取ったらしい頭骨が発見され、著者は特に掻創のあるものに興味を持っている。著者はこれらの頭骨について、発掘された場所や歴史上の出来事などから、北条氏滅亡の際の合戦で死んだ者の遺骨であると推測している。そしてその中の掻創のある頭骨は、敗者の中でも先述の部下に首を取らせた身分の高い人物のものであると考えている。掻創は、顔の皮を剥ぎ取った際にできたものであると予想している。このような処理がなされた理由について著者は、一つ二つの首であればどこかへ持って行って埋葬することもできるが、自殺した者多数となるとそういうわけにもいかず、貌の皮を剥ぎ取ってしまうことで誰であるかをわからなくし、晒し首にされるという辱めから主人を守ったのであろうと推測している。
一字下げて始める。彼らは武士としての最期を遂げたのであろうが、現在の人の目から見れば極めて残酷でむごいものであったと思う。しかし当時の人々はこうした残酷さの中で次第に不感症となり、さほど恐ろしいものだとは考えなくなってしまうこともあったという。首そのものに呪力や霊力があると信じられていたということは既述したが、加えて斬首することによって死者の霊が怨霊や悪霊といったものになることを防ぐことができると考えられていたようである。しかし、時代が時代とはいえ、人の死やその残酷な身の始末のつけ方に慣れていまうということは、どうにも正常な神経ではなかったかのように思う。1行ツメル
→一字下げて始める
本書を読んでいて思ったのは、昔の人にはあって現代人にはないものがあるということだ。その最たるものは、著者が冒頭で挙げた活気というものであろう。昔の人はいろいろな意味で強かったと思うが、それも活気があったからだろう。現在は暗い時代のように思われるが、だからこそ明るく、強い気持ちが大事なのだろう。下線の部分トル
→一字下げて始める
本書で挙げられた絵巻物に描かれている人々の生活、習俗は主に奈良時代から鎌倉時代の??ものであったが、大学ではより多くの資料文献から様々な時代の人々の有様を知ることになると思う。その中で豊かとはいえない民衆がどのようにして日々の生活を明るく、そして強く生きたのかを学んでいきたいと思う。

全体によくできたレポートですが、書式については今後とも注意して下さい。それに最期の結び部分は平凡すぎます。もう少しこだわった記述が必要です。「活気」だけの評価ではねー。呪術性の問題とかも。聖と俗の違いの問題とかも。









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