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『異人論』」読後レポート

学生たちこんなことしてます! 2012/04/30

赤字は教員のコメント、青字は引用です。

Y.M
1、異人について
(1)異人の両義性
 異人と聞いて思い浮かぶのは、普通とは違っていたりする人や外国人だが、本書では「
民俗社会の外部に住み、さまざまな機会を通じて定住民と接触する人びと」(P13)を異人と総称している。その中には六部や座頭、山伏、巫女などの旅する者たちや、本書では山姥や河童などの人外?もその中に含まれている。
 異人は人びとに「富」をもたらすか、「災厄」をもたらすか見当がつかないため実際に接触を求めてきた異人に対して、文化や時と場合によって人びとはそれなりの対応をしてきたのだろう。古くは異人を他界から来訪する神霊への信仰との関係から歓待する傾向だった
らしいが←トル、時代と共に信仰が衰えていくと忌避の念が強まることもあったそうだ。←ようだ、がよい、伝聞形

(2)異人殺し
 民俗社会は好ましい側面だけで成り立っているわけではない。その一つとして伝説や昔話で語られる「異人殺し」について論じられている。
 異人殺しについて本書では28の事例から家の盛衰について四つのタイプの民俗的説明が現れ、その中に「異人殺し」伝説を持ち出していることや、めでたしと終わるような昔話として語られているような話にも
読み解くと異人殺しにつながることがある、ということが明らかにされている。
 異人殺しを発生させる要因にはシャーマンによる村内に生じた「異常」の原因探索や、人びとの特定の家の盛衰についての噂によるものがある。異人殺しは特定の家の盛衰の民俗的説明として用いられることがあるが、本書では「憑きもの」の研究の過程で異人殺しが視界に入ってきたと論じている。民俗社会ではさまざまな神霊を用意して家の盛衰を説明しているのだ。
 「異人殺し」伝説がつねに「家の盛衰」と結び付けて語り出されるわけではなく、つねに村びとの記憶にない「異人殺し」をシャーマンが初めて語り出すわけでもなく、つねに殺害者の家が社会的な差別を受けているとは限らない。しかし、「
民俗社会における「異人殺し」伝説のメカニズムを解明する過程で、私たちはこの伝説が家の盛衰、とくに衰退・没落の原因を説明するために利用されていることを理解した。すなわち、民俗社会には大雑把にいうと家の急速な盛衰の原因に関して四つのタイプの説明の仕方が存在しており、その一つが「異人殺し」伝説を持ち出しての説明なのである。←トル」(P49)とあるように異人殺しと家の盛衰はなかなか切り離せない関係なのである。
 民俗社会における「異人殺し」フォークロアの存在意義とは、「
民俗社会内部の矛盾の辻褄合わせのために語り出されるものであって、「異人」に対する潜在的な民俗社会の人びとの恐怖心と“排除”の思想によって支えられているフォークロアである。「異人」とは民俗社会の人びとからしるしづけを賦与された者である。そして「異人」は社会のシステムを運営していくために、具体的行動のレヴェルでもその“暴力”と“排除”の犠牲になり、また象徴的・思弁的レヴェルでもその“暴力”と“排除”の犠牲にされていたわけである。←トル」(P89)と記されている。フォークロアを理解していくのならば、忌わしい側面も直視していかなければならない。

2、「異人」としての女性
 女性は出産や月経などの生理機能を持つことや、出産・授乳・幼児の養育などの社会的役割。そして心理的に具体的で、主観的・情緒的な傾向が強いことから、男性よりも「自然」に近い存在とみなされている。
 男性は文化を創り出すことができるが、人間を創り出すことはできない。それは女性の「文化」ではなく「自然」の部分であるから、自然に深く根ざした女性のこの根源的な力、男性のコントロールできない力を持っていることが恐怖感を抱かせている。
 「
女性は日常生活、社会秩序から排除され差別された、潜在的「異人」としての役割を象徴的に担わされている。女性は「文化」の周縁に位置する人間社会の内なる「他者」であり、それゆえに「混沌」のメタファーとされ、多義的意味、両義的意味を帯びた存在となる。←トル」(P120)\。/そのため女性は人びとの一番近い「異人」となる。そして「山姥」や「大蛇」や妖怪「鉄の歯」の像は男性の女性に対するイメージを表現している。
 男性たちは女性の豊饒な力、自分たちにはコントロールできない力を借りなければ自分たちの支配する文化・社会が成りたたない。女性の力を利用したり、それに対抗したりすることによって社会を建設し文化を創造してきたことを、儀礼や神話を通じて主張していたのだった。

3、通過儀礼の蓑笠、祖霊とマレビト
(1)「祖霊」と「マレビト」
 「
本質的にみて、「祖霊」と「マレビト」は異なった神である。というのは「祖霊」はかつて人間であった者が、死後その子孫たちに祀られたもので、したがって、この「祖霊」を祭祀する社会集団の原型は、親族集団に求められる。言い換えれば、共同体を達成する複数の親族集団にそれぞれ異なる「祖霊」が祀られているのである。これに対して、「マレビト」は異郷の神であり、その神の起源が人間それもとくに祖霊に求められねばならない理由はない。おそらく、折口においては、異郷の神々としての「マレビト」とそれを祀る人間との間には越えがたい断絶があったように思われる。「マレビト」を祀る集団の本質は、親族集団ではなく、それを越えた共同体にあり、したがって、「マレビト」は特定の親族集団を祝福するためではなく、共同体を構成する人びとを祝福するために来訪するのである。死んだ者たちがすべて異郷の神々になるわけではないのだ←トル(P183,184)とあるように祖霊とマレビトは異なった神であった。それにも関わらず、来訪神とはマレビトでありかつ祖霊という考え方が常識化されている。

(2)マレビトと蓑笠
 蓑笠をつけた神をマレビトの典型的な姿という考えの上、正月に行われ蓑笠を用具として用いる儀礼はマレビトあるいは祖霊の来訪を示す儀礼とみられる。しかし坪井洋文はこのような儀礼を
蓑笠姿は遠い昔に山の民であった者たちの守護神を象徴し、かつて山の民であったが今では里の民になっている者のところに、かつての守護神が新年になると蓑笠姿でわざわざ祝福しに来訪して来たことを表し、現在の伝承態はその衰退したものであるという。
 このように儀礼に
←のなかに蓑笠を用いることでマレビトを表す象徴性を帯びるが、本書では蓑笠はさらに別のなにかを象徴している。そのなにかを通過儀礼の一つの例として挙げている。すべての儀礼において蓑笠や類した事物が用いられているわけではないが、用いる儀礼における象徴的意味を筆者は考察している。
 「
私たちは、民俗社会のさまざまな儀礼にみられる蓑笠の象徴的意味を解釈するに当って、蓑笠とはマレビトのメタファーであり、それを身につけることはマレビトに変身し、マレビトとなることである、と短絡的に解釈することの危険性を、通過儀礼に現れた蓑笠の象徴的意味を探りながら明らかにしてきた。←トル」(P211)とあるように、誕生の儀礼において赤子を包んでいた胞衣=エナがあの世からこの世への“旅”をする赤子の“旅装束”で、本物の蓑笠の代わりであり、死から生への社会的境界を越えるための道具で、社会構造から一時的隔離、儀礼的な死と再生を示すしるしである。そして葬送儀礼における蓑笠もまた、生者の世界から死者の世界への社会的境界を越えるための道具で、生から死への移動中であるしるし。誕生の儀礼とは反対の死のメタファーとしての機能を帯びている。と、これらのことを明らかにしている。
 他にも蓑笠は一揆の装束や雨乞い儀礼の装束に用いられることがあったが、これらもマレビトを意識するよりも生や死を表していると考えることもできるし、「隠れ蓑」や、非人や乞食のすがたを神または鬼へ変身させるという考えもできる。

4、妖怪について
 妖怪はそれなりのイメージを持つことができても、定義しにくいものだ。妖怪というものはわけのわからにもので、正体をつかめず、これこれの属性をもっていて、ということができないからである。
 「
(一)祭祀されない超自然的な存在である、(二)異類異形つまり他者的存在である、(三)外のカテゴリーに属しているがために恐怖をひき起こすものである、(四)人間に対して恨み、嫉みというようなものをもっていて、それが原因でさまざまな災厄をもたらす。←トル」(P239,240)\。/本書ではこのように妖怪を四つの特徴にまとめている。その中でも異類異形性とそれに関連する他者性の問題を強調している。異類異形性については、異類異形の妖怪の典型として鬼が挙げられ、私たちの鬼のイメージはいつの頃からできているのか、また他の妖怪もどのようにイメージが形成されているか考える必要があると語られている。
 他者性については、外集団あるいは外の領域に属していて、「われわれ」の仲間ではないものについて、奇形児やなにかの契機で妖怪に変質し「われわれ」から他者に変わるなどのことを例に挙げている。それらは人間の意識における「内」と「外」で、その時その時によって変化し妖怪もそれに応じて現れる場所が変動する。妖怪空間の可変性は「他者」としてつまり幻想化された「異人」として考えることができる。
 妖怪というものの異常性の背後には「異人」集団あるいは異なった職業集団というものが見え隠れしている。「
河童のイメージの背後には、そういう土木や建築、治水工事にしたがう「川の民」たち、山の神や山姥の背後には、修験であるとか、木地師であるとか、あるいは焼畑民であるとかいった「山の民」たちの姿をみていくことができるはずです。←トル」(P260)\。/というように民俗社会に伝わる妖怪の中には想像上のものだというだけではすまない大きな問題がひそんでいる。
 よく知られた妖怪にも、「異人」に対する偏見や“差別”の意識が働いていたことが本書では語られている。

5、まとめ
 異人殺しという行為や噂の裏には、人びとの嫉妬の念や「人柱」などのどうしようもない理由があり、社会が好ましい側面だけで成り立っているわけではないという今の人びとにも共通するようなことがわかった。
 さまざまな事例で読み解くことで、その裏に存在する人の思いや当時の状況を知ることができる。その読み解く過程で他にどのような考えが巡らされているかも知りたいと思った。他にも女性に対する恐怖や蓑笠を用いる儀礼の生や死に対する考えにおいても、それを具現して語りついでいく人びとの想像や思いにも興味をそそられた。
 最後の妖怪についての記述は、さまざまな形で語られる妖怪を定義するときの難解さがすべてを通して書かれていた。民俗学に興味を持つきっかけとなった妖怪については、まだまだ考える必要があることが語られ、大学生活でそれをどのように考えていくことができるかとても楽しみだ。



 
 
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