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雷石

学生たちこんなことしてます! 2011/03/25

入学前教育に課したフィールドワークレポートです。赤字は教員のコメント、青字は引用です。

「雷石」
S.M

1 はじめに

 静岡県静岡市葵区相俣の白髭神社の境内に雷石という石がある。今回のフィールドワークではこの石に纏わる伝説、この石と相俣地域との関わりについて調査し纏めたいと思う。

2 事前調査

 実際に相俣に行く前に雷石に纏わる伝説について図書館に赴き郷土資料を参考に調べてみた。その結果、雷石伝説は話の内容こそ大差は無いものの細かいところで幾つかの種類(民話の場合、類話あるいは異話を使う)があることがわかった。

以下が雷石伝説のオーソドックスな内容である。

相俣の白髭神社の境内に雷石がある。昔、相俣に雷が落ちた時、何かが天に昇れなくなり、狼狽しているのを森仙吉の祖先、伊八が見た。怪物は天に昇らせてほしいと訴えるようであった。伊八が「もう落雷するな」と言うと怪物は嬉しそうだった。
(改行する場合、一字下げる。以下同じ。この後改行が多すぎる)
折から、黒雲が現れて怪物が天に昇ったが、その時、畑の小豆の葉に怪物の糞とも見えるものが二つ残っていて、畑には一抱えもある大石があった。この石は怪物と共に落下してきたのか、兎に角この石を雷石と呼び、祀ることにした。また、毎年の祭典には小豆を煮て人の頭くらいに丸め、それを二つ作って供え、村人はそれを争って分けてもらう。そして、雷鳴するとき、少しずつこれを食べると、例え落雷しても怪我がないと言い伝えている。また、その後この地には落雷が無いという。出典を明記、著者名『タイトル』出版社、発行年、あるいは話者、生年、伝承地を書く。以下同じ。)

このと違いがみられるはこのようなである。(同じ言葉を避ける)

みなさんは相俣の白髭神社の境内にかみなり石があるというのを知っていますか。
これはその昔、村人たちが畑仕事をしていますと、ピカッと空が光ったと思うと大きな音がして、かみなりが火だるまになって落ちてきたのです。
あまりにおどろいた村人たちは大きなうちわを使ってあおり立て、もうこれきり雷さん落ちないでください、とお願いして大空へと戻してやったそうです。
そのとき、なにかほしいものがあったらもっていってください、とたのみますとそれじやあというので、あずきの枝をくわえて空に向かったそうです。
ですから今でも、十月二十四日のおまつりにはあずきのだんごをつくっておそなえし、豊作を祝うようにしているのだそうです。
また、明治の中頃、あまりの日照り続きで困っているところ、かみなり石を川におろしてあらってやりますと、急に空が暗くなって、大雨が降りだしたとかでそのごりやくはたいへんなもののようです。
また、このできごとののち、相俣には雷さんがおちないようになったとか。

前者と後者の話の違いは、前者が小豆の葉の上に怪物の糞があるのに対して、後者では小豆の枝を咥えて空へ向かったこと。さらに後者の後半にある雨乞いの件。

しかし、雨乞いの件に関しては前者と後者の違いではなく前者では語られていないだけで(伝承の場合、この語られないという点が重要なので、無視しないこと。例えば、どの地域の人が雨乞いを語り、どの地域の人が語らないのかを調べることによって、伝承の持つ意味が分かる可能性が出てくる。)あって他の話にも語られているもの、そうでないものもいくつかあった(ここに注を入れて、文献を示す)

ここで私は二つの話から特に重要と思われる節を幾つかピックアップし、簡単な仮説を立ててみた。

その重要と思われる節(箇所?以下同じ)とは
前者から
・「小豆の葉に怪物の糞」
・「黒雲が現れて」

後者から
・「かみなりが火だるま」
・「あずきの枝」
・「日でり」
・「大雨が降りだした」

以上の節からこの話は焼畑農業に関係する伝説ではないだろうかと考えた。

焼畑農業とは読んで字のごとく畑を焼き、それによって得た灰を肥料として作物を育てる農業の方法である。
焼畑農業は主に山岳地域に多くみられる、その理由として山地では水田を開くことは容易ではなかったため焼畑農業に頼らざるを得なかったのである。
雷石伝説のある相俣地域も山岳地帯なので焼畑農業を行っていた可能性は十分に考えられる。

ここから一つ一つのピックアップしたを関連付けていこうと思う。
まず、後者の「かみなりが火だるま」という
この節(繰り返しが多い)は畑を焼いている様を表しているのではないだろうか。他の話の雷が落ちてくる場面では「畑に大きな火柱が立った(注を入れ、文献を示す)」という節(例えば語り)があることからも同じことが言えるのではないだろうか。
(一行ツメル。こんなところで一行空けない。)
次に前者の「小豆の葉に怪物の糞」というについて。
この節は雷が落ちたことによって畑が焼け、そのときによって生じた灰によって小豆が成ったということを表していると考えた。

現に焼畑農業によって作られる主な作物の中に小豆は含まれている。
同じようなことは後者の「あずきの枝」という節にも言えるのではないだろうか、前者よりこの考え(明確に表現する。例えば焼畑起源説)に対する答えとしての色合いは薄いが少なくとも小豆という特定の植物が関係していることは確かだといえるであろう。

次に「黒雲が現れて」と「日でり」と「大雨が降りだした」という節について。(だが、:ここで文章を切らない。)
この三つのはどれも気候についてのである。
「黒雲が現れて」と「大雨が降りだした」は意味合いこそ似ているがこの節が語られている場面により意味に違いがみられる。
「黒雲が現れて」という節は村人が雷と遭遇しているときの節、つまりこの伝説の時系列的には古い時代の出来事を表現している節である。ちなみに前者の話の中では「黒雲が現れて」ということだけで、雨が降っていたという表現は無いが、他の幾つかの話の中では「細引きのような雨が降った(注を入れる)」などの表現が多数含まれていたため、前者の話の中でも黒雲が現れた際に雨が降っていたと考えることとする。
これに対して「大雨が降りだした」という節、この節の語られている節は明治の中頃で、さらに日照りが続いていたころの出来事として語られている。

以上のことを踏まえると、雷と遭遇した際に雨が降り出したことから村人の間で雷は雷こそ村に落とさないが、雨を降らす神との認識があり雨乞いの際に祀られたのであろうという仮説を立てることができた。

この三つの節を焼畑農業に関連付ける前に焼畑農業についてもう一つ記しておきたいことがある。それは焼畑農業と水の関わりについてである。

先に記したとおり焼畑農業は水田を容易に開くことのできない山岳地帯で多く行われてきた。
つまり山岳地帯であるため畑に使用する水の確保も容易ではなかった、というよりも当時の技術では大量の水を沢などから畑に運ぶことは不可能ではなかったのだろうか。

その結果、畑に使用する水は必然的に雨を頼るようになる。
そこで登場するのが雨乞いである。さらに雨乞いには祀り上げる対象が必要になる、それが雷石だったのではないだろうか。
つまり、雷石、及びそれに纏わる伝説は焼畑農業と雨乞いの習慣に集約されるといえるのではないだろうか。

以上の仮説を立てた後、相俣へと赴くことにした。

3 現地調査

相俣に着いた私は雷石のある白髭神社を管理している方、雷石について詳しい方を聞くために白髭神社の付近にある竜泉寺に赴いた。
そして、竜泉寺で白髭神社の管理をしている森さんを紹介していただき、次に森さんのご自宅へ伺った。

森さんと会うことの出来た私は早速、雷石について伺った。
以下が森さんの話してくださった森さんの家で語り継がれていた雷石伝説である。

大昔、家のすぐ前にある畑に雷が落ちた、その際細引きのような雨も伴っていた。その雷は暴れまわっていて空に上がれないようでいた。そこで森さんの旦那さんの御爺さんが鍬と団扇をもって畑に行き雷にこう言った。「空へ上げてやるから二度とこの地へは落ちるな。仮に落ちたとしても人には危害を加えるな。」そして雷は嬉しそうな顔をし、近くにあった小豆を欲しそうだったという。そこで御爺さんは小豆を雷に与え、団扇を使い空へと返してやったという。その後、雷が落ちた畑から二つの石が見つかり一つを雷石、もう一つを水神として畑の脇に祀ることにした。しかし、時を経て何故か雷石の方だけが神社へ移された。

次に雨乞いについて聞いてみた。それによると(以下文章をつなげる。)
日照りが続いた際、白髭神社にある雷石を祀ろうという声があがったという。その人たちは雷石を神社の向かいにある滝まで持っていき石を磨こうとしたそうだ。しかし、石を持ち上げた瞬間に空に黒い雲がかかり、雨が降り出したため村人は驚き石をそのままにしたそうだ。
さらに近年に森さん自身が体験した話も聞くことができた。
今から3,4年前日照りが続いた際、森さんは雨が降るようにと雷石にお願いをした。そして、お願いも終わり神社から帰ろうとした途端に空が暗くなり雨が降り出したそうだ。

さらに、毎年10月に行われている白髭神社のお祭りでは雷石も一緒に祀り、その方法は雷が小豆を欲しがったことにちなみ小豆を湯で、それを団子状にして供えるものらしい。その団子は祭りのあとに参拝者に配られるそうだ。

さらに焼畑農業について聞いてみたところ昔の相俣では盛んに行われていたことが分かった。

そして私は森さんの家の先にある、雷が落ちたという畑の中の水神といわれる石を見せてもらった。

佐藤1
写真1

写真-1がそれ(明確に示す)である。形はお世辞にも整っているとは言い難く歪という方が正しいと思われる。
大きさは予想以上に大きく、高さ50cmほどであった。色は橙色で表面は薄い紙のようなものが何層にも貼られているようであった。
次に私は雷石が祀られている白髭神社に赴いた。鳥居から入ってすぐに発見することはできなかった。


佐藤2
写真-2

雷石は境内の脇の石積みの上に祀られていた。写真-2はそれである。大きさ、色は水神となんら変わりの無いように思えたが、唯一水神と違うと感じた点は形だった。
水神が歪な形なのに比べて整った印象を受けた。

4 まとめ

まず、図書館の郷土資料で調べた内容と現地の森さんの話を聞いた内容で大きな違いを発見することができた。
それは石が二つ見つかったことである。
そして、さらに形の整った雷石の方だけが神社へ移され祀られるようになり、多くの人々に知られることになった。
私はこのことを考えているうちに一つの伝承が頭によぎった、それは古事記に登場する木之花佐久夜毘売伝承である。
この伝承は美しい佐久夜毘売だけが嫁に迎えられ、醜い石長毘売だけが粗末に扱われた伝承に酷似しているといえないだろうか。同じ静岡の富士宮を総本山とする浅間神社でこの伝承に登場する木之花佐久夜毘売が祀られていることから、この相俣の地までもその神話が影響していると考えられないだろうか。

次に焼畑農業との関連性について(であるが、と後ろの文章をつなげる)
これについては確実に関連性があるとは言い難いが相俣で焼畑が行われていた事実があったため、かなり有力な説といえるのではないだろうか。

5 最後に

今回のフィールドワークを通していかに昔の人が農業を重んじていたかが改めてわかった。
特に今回取り上げた焼畑農業は水が重要であり、それに対してどの程度の心持ちで昔の人々が雨乞いを行っていたのかが非常に気になった。
さらに、今回は農業高校出身の私が期せずして焼畑農業にたどり着き、高校で学んだ焼畑農業の知識が大いに役立ったため、これからも学べることはよく学び今回のようにどこかで生かしていきたいと思った。

図書館で資料調査をした上で、ある程度の仮説を立て、現地調査において、聞き取り調査、写真撮影をしている点、また、調査地の農業事情にまで言及した点が評価できる。
文章の表現、形式、文献の提示方法については今後の課題。調査地の地図があれば、更にわかりやすい。



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