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入学前教育フィールドワークレポート(4)

学生たちこんなことしてます! 2010/03/26

すぐれたレポートを掲載しています。赤字は訂正、コメント。青字は引用、要約です。

書写山圓教寺の鬼追いについて
K.Y  

鬼追いとは何か、日本民俗辞典(弘文堂)で正式な呼称だと思われる「鬼ヤライ」で引いてみた。
「鬼追い・鬼打・追儺ともいう。厄払いの行事で大年・節分・寺院の修正会に行うほか九州の鬼火も同類である。災厄をもたらす精霊としての鬼を追払い、豆で目玉を打ちつぶすというのが一般的な理解である」と記されていた。
 鬼追いの行事は各地にあります。民俗の辞典はいろいろありますが、現在もっとも新しいものは吉川弘文館の『日本民俗大辞典』です。各地の鬼追いに興味をもたれたのはうちの専攻としては心強いかぎりです。

また「追儺」も引いてみた。
「疫鬼を払う俗習で、鬼やらいともいう。豆を撒くのも鬼を追い払うのではなく、神に対する散供と考えられる。寺院の追儺も、民間の豆撒きも、その折にでる鬼は必ずしも悪鬼ではなく、むしろ悪霊を鎮圧する善鬼の性格を示しているとみられる」と記されていた。

一般的に鬼追いの「鬼」は悪い存在として人々に追い払われる。しかし、追儺の鬼のように、神の化身や依代など善鬼として舞っているものも多いらしい。書写の鬼追いを始め、少なくとも天台宗の寺院の鬼は善鬼とされているようだ。ただし、同じ天台宗の比叡山延暦寺の鬼は悪鬼として人々に追われる存在である。「鬼」の扱われ方は地方によって違うのか、宗派も関係するのかは今回調べることはできなかった。今後、機会があれば調べてみようと思う。

書写山圓教寺では毎年1月18日 修正会と併せて鬼追い会式が行われる。鬼追いは「寛弘4年(1007年)当寺開山の性空上人の入寂後間もなく始められたもの」(書写山圓教寺公式ホームページ)とあるように、非常に長い歴史がある。
儀式は代々梅津家が執り行っている。梅津家の他にも、磯部、早川、水野などの家が出仕していると資料には記されている。当初は複数の家の者がこの儀式に携わっていると考えたが、いずれも梅津の分家なので、執行役は今も梅津家という一つの家系なのだと分かった。現在、梅津家は主に鬼の役(鬼係)として出仕している。鬼係には神事を司る依り代として大切な意味があり、水を浴び身を清めた頃もあった。儀式に使用する鬼の面も、神の化身と捉え、儀式前には箱から出し塩などと共にお清めをする。

梅津家は、性空上人が九州からこの地に来る時に徳を慕ってついてきた家である。また、乙天・若天の子孫とも伝えられている。

(写真1)山崎1


護法石(別名 弁慶のお手玉石) 
この石の上に若天・乙天が降り立ち 寺門を守ったという伝説がある。
また弁慶はこの石をお手玉にしたともいわれている。



(写真2)山崎2

圓教寺の赤鬼・青鬼は、それぞれ乙天・若天として踊りを舞っている。



(写真3)摩尼殿本堂山崎3


儀式は摩尼堂本堂で扉を全て閉め切り、ろうそくと松明の明かりだけで行う。暗闇で行う行為には「神霊を具象化した姿である鬼が去来している」と図書に記されている。
本来、修正会は夜に行われていたが、現在は午後1時から行われている。今の形式で行われるようになったのは、いつの時代からなのだろう。御住職に聞いたところ、少なくとも明治時代には今の形になっていたそうで、神仏分離政策などの影響もあるらしい。
 追儺会は一般に中国からきた宮廷行事で、日本では中世には廃れていました。圓教寺の鬼追いは山崎さんがレポートで指摘している通り、修正会結願の夜に鬼走りとよぶ行事が残るところがあり、圓教寺のものもこの典型の一つといえます。山崎さんの聞き取りにあるように、明治以前には夜の行事であったというのは正しいと思います。

儀式の話に戻る。鬼は一度白山で踊り、次に摩尼殿で踊るのだが、白山から内陣に移動の際、鬼役の者は頭を黒い布で覆う。何故、このようなことをするのだろうか。御住職によれば、「前が見えないようにするため」らしい。つまり、夜(暗闇)を意識したものだと考えられる。こういった面からも、鬼追いは修正会の本来の形を大切にしている様子が窺える。
この行事については、兵庫県民俗芸能調査会編『ひょうごの民俗芸能』(神戸新聞総合出版センター 一九九八年刊行)に小栗栖健治さんの詳しい行事説明があります。一度読んでみてください。その他加古川や神戸の鬼追いの行事も掲載されています。

ここで義犬の伝説について触れる。書写では毎年鬼追いの行事にあわせて、英賀の才村から円教寺摩尼殿に、鏡餅と造花が贈られる。このように奉納されるようになったのは、次のような出来事が起因している。『伝説の兵庫県』(西谷勝也著)から引用して、紹介する。
「昔、書写山の僧侶が犬をつれてこの村を通っていると、悪いものが出てきて、いきなり僧侶に飛びかかり危害を加えようとした。それを見た犬は僧侶を助けようと、この悪いものに食ってかかり、これを噛み殺した。しかし犬も殺されてしまった。それで後にその土地に葬って、塚をつくったのが犬塚である。それからは、書写山には、鬼の踊に餅を供えるようになったという」また、過去に供物を供えなかった年もあり、その年は凶作や飢饉、疫病の流行に見舞われたようだ。他にも書写の南方の地域、特に才村の付近は夢前川の氾濫によって大きな被害を受けたらしい。このようなことがあってから、供物の奉納を欠かさないようにしているようだ。
このレポートは、行事について現地で聞き取り調査をしたことがよくわかります。鬼役の海津家のことや摩尼殿の行事についても聞き取りをしたことがレポートからわかりますので、はじめてのフィールドワークとしては、行事の進行状況も要領よくまとまり、よくがんばったと思います。鏡餅や造花が奉納される村のことから、犬塚伝説にも興味をもちましたが、鬼箸のくばりものには興味がわきませんでしたか?

今回初めてフィールドワークをするにあたり、反省すべき点が多々あった。
・住職にお話しを伺うためにアポをとる際、自分の名前は相手に告げていたが、電話口の方の名前を聞いていなかったため、訪問先で手間取った。今度からは必ず相手の名前・連絡先なども把握しておこうと思った。
・図書館の資料集めだけでは、不完全な部分も多く、次からは地域の公民館などにも足を運ぶべきだと思った。
・今回のフィールドワークでは、書写山円教寺の鬼追いを調査してきたつもりだが、もっと調査内容を細かく具体的に考えてから行動すべきだった。

 今回の反省を生かして、今後はしっかりとしたレポートを書けるように努力したい。

参考資料 
・『伝説の兵庫県』西谷勝也
・『歳時の文化辞典』五十嵐謙吉 
・『日本の風俗起源を知る楽しみ』樋口清之
・『鬼の絵草子―その民俗学と経済学―』南清彦
・書写山圓教寺ホームページ
・日本民俗辞典(弘文堂)

最後に、アポを取ることの必要性や今後の調査方法の検討などをあげてあり、フィールワークの調査の反省も丁寧でした。ただ、フィールドワークではすべて予定通りに行われないことも多く、多人数の参加でないかぎり、飛び込み聞き取りでも十分対応できることがほとんどです。
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