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入学前教育フィールドワークレポート(3)

学生たちこんなことしてます! 2010/03/21

お手本になりそうなレポートを掲載します。赤字は訂正、コメント。青字は引用、要約です。

フィールドワークレポート「吉祥寺」
M.S

 私は「吉祥寺」という場所について、産まれたときから住んでいるにもかかわらず、知っていることはとても少ない。どのような歴史があるのかもほとんど知らない。なので、今回、産まれたときから住んでいる、「吉祥寺」という土地についてレポートにしてみようと思う。

 まず最初に、「吉祥寺」という街がどのような街なのかまとめてみたいと思う。
 「吉祥寺」という街は、東京都のほぼ真ん中に位置する街であり小高い台地の上の平坦な場所にひらけているため、駅周辺に向かってどの方向からでも緩やかな坂を登るようになっている。しかし、この坂はかなり緩やかであり今まで毎日のように歩いていたが今回改めて自宅から駅まで意識して歩いてみて初めて気づく程度のものであった。
 
次に、「吉祥寺」がどのようにして出来たのか、そしてなぜ「吉祥寺」というのかについてまとめてみようと思う。
 「吉祥寺」という街の名前は、江戸時代に本郷元町、いまの水道橋北側にあった諏訪山吉祥寺に由来する。
1657年、明暦の大火という江戸の大半を焼失することになった江戸の三大火の筆頭にもあげられる大火災により、同寺とその門前町に暮らしていた人々が焼け出され、集団移住して暮らし始めたのが現在の「吉祥寺」という街である。焼け出された人々は玉川上水の流れに合わせて縦横に土地を分割し開墾を進めたため、「吉祥寺」の街は斜めに区切られているようにみえる。吉祥寺に愛着を持っていた彼らは、開墾した土地を「吉祥寺村」と名付けた。
つまり、現在の武蔵野市吉祥寺に至るまで、「吉祥寺」に吉祥寺という名の寺院が所在したことはないのだ。
なぜ寺と門前の人々が分けられたかというと「地名の起りは,明暦の大火(1657)の翌年の火事により神田水道橋ぎわにあった曹洞宗の吉祥寺が駒込へ移転したが,その門前は火除地(防火帯)として住民が立ちのきを命ぜられ,この武蔵野の地の新田開発(吉祥寺新田)をしたことに始まる。」(『世界大百科事典』平凡社)ということらしい。
 しかし、私は今まで「吉祥寺」という名前がついた由来は吉祥寺という寺院が「吉祥寺」にあったからだと思っていた。火災があったことや、それによって住む場所を失った人たちが「吉祥寺」をつくった、という話と同時に「吉祥寺」という焼けてしまった寺院が移ってきた場所だから「吉祥寺」というのだという話を聞いたことがあったからだ。今回調べてみて、勘違いであったことが分かってから同年代の友人たちにこのことを聞いてみたところ、同じく勘違いをしていた人が多くいた。ここのところをちゃんとした形にするとフィールドワークのレポートらしくなる。例を挙げると以下のような形式です。
「Aさん(18歳)
 吉祥寺?たしか江戸時代に火事があって、こちらの方にお寺が移って来たんじゃなかったっけ?」(2010.1.22聞き取り)」
なぜこのように勘違いをしている人が多いのかというと、第一に私たちにこの話をしてくれた人たちがすでに勘違いをしていたということがあった。では、なぜその人たちは勘違いをしてしまっていたのだろうか。私はその原因の一つに、「吉祥寺」の寺院の数にあると考える。吉祥寺地域は安養寺・光専寺・蓮乗寺・月窓寺という四軒の寺が集まっている寺町であり、由来などの話が混ざりやすく正しい話が伝わらなかったのではないかと考える。
 こういう勘違いを「つまらないこと」「間違っていること」とだけ受け取るのではなく、それをちゃんと聞き取って資料化するのは民俗学の視点です。人間の行為はすべて意識化されているわけではなく、こういう錯誤の中に重要な歴史認識が現れることもあるのです。

 こうして「吉祥寺」について調べてみると、住んでいるところだけでも知らないことだらけなのだということがよくわかった。歴史についても今回調べてみてやっと正しく知ることができたし、新しい発見がとても多かった。
私にとって一番そばにあり馴染み深い神社である武蔵野八幡宮に東京都では2点しか所蔵されていない蕨手刀のうちの1点があり、しかも出土品としては全体的に形をとどめているという希少なものであったことにとても驚いた。また、いままで武蔵野八幡宮の祭りで何度も聞いてはいたけれどいつも聞き流していたので、お囃子がむさしのばやしというのもしらなければ天孤の舞、獅子の舞、天太の舞なんてものがあったことも驚きだった。
武蔵野八幡宮

その他に、近所の寺院である月窓寺には京都の仏師により造像された市内最古の記銘をもつ乾漆造白衣観音坐像があることも初めて知った。こちらは蕨手刀とちがって開帳日があるにもかかわらずみたことがないので、機会があったら見てみたい。
そして、一番驚いたことは、普段よく行く場所であるハーモニカ横町と呼ばれている商店街のもとは戦後の復興期にできた闇市だったということだ。闇市といえば非合法に設けられた市場であり昔にあったもので今では関係のないものだと考えていたが、非合法な立場から始まったはずのものがいまはこうして違った形で繋がっているのだと考えるととても面白いと思えた。調べてみれば間近でも様々な歴史に触れられるのだと感じ、そういったことももっと学んでいきたいと考える。
ハーモニカ横丁  ハーモニカ横丁2




参考文献

武蔵野市の文化財 武蔵野市教育委員会

きちばん     『きちぼん』出版プロジェクト

Wikipedia
 全体的に問題意識にあふれるおもしろいレポートです。ただ課題が、A4、3枚程度としているので、必ず分量は満たすようにしましょう。課題枚数より少ないことを理由に、合格点を出さない大学教員は多いのです。あなたのレポートの場合、武蔵野八幡宮やハーモニカ横町など写真を添付した方がよい所がたくさんあるので、レポートをよりよくするためにも写真をつけ、さらに地図なども必要ではないでしょうか?というコメントをお知らせした所、送られて来た写真も掲載しています。

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