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入学前教育フィールドワークレポート(1)

学生たちこんなことしてます! 2010/03/16

すぐれたフィールドワーク・レポートを掲載しています。青字は引用、要約。赤字は訂正、コメントです。

広島のお好み焼きについて
S.O
 1.はじめに
  フィールドワークを行なうにあたって、身近な所からテーマを決めていきたいと思った。祖母や母から昔のお好み焼屋での思い出などを聞いて興味を持ち、広島のお好み焼がどのようにして生まれ、広まっていったのかを調べてみようと思い立った。そこで改めて私の住んでいる町を見渡すと、今までは当たり前すぎて考えたこともなかったが、近所にお好み挽き屋が多いと感じた。実際に町内を歩いて見ると23店舗のお好み焼屋があった。
広島1
この23店舗の写真は圧巻ですね。
 総務省統計局の平成18年事業所・企業統計調査(表1)でも、お好み焼店の数を人口の割合でみると広島県は日本で一番お好み焼店が多いという結果だった。 ちなみに、宇品は人口が29,357人で23店舗あり、1店舗あたりの人口は1,276人ということで広島県の平均を上回っている地区と言える。
統計を使って実態を把握するのは社会調査の基本です。人文学では数字にならないことも多いのですが、できる所はこういうやり方をするのが望ましいです。

(表1)平成18年 日本全国お好み焼き店舗数
   都道府県名  店鋪数   都道府県名 1店舗あたりの人口
  1位 大阪府   3,350    1位 広島県   1,548人
  2位 兵庫県   2,450    2位 兵庫県   2,282人
  3位 広島県   1,857    3位 大阪府   2,631人
                   総務省統計局 平成18年事業所・企業統計調査

2.広島のお好み焼とは
 お好み焼には大きく分けて2種類あり、水に溶かした小麦粉の中に野菜などの材料を混ぜたものを焼く混ぜ焼きと、クレープのような薄い生地を焼いてその上に材料を乗せていく重ね焼きがある。広島のお好み焼はこの重ね焼きの方である。

 <広島のお好み焼の作り方> (みねちゃん:肉玉そば入り)
広島2

 広島では大抵が小さめのヘラが出され、それを使ってお好み焼を切り分けて食べる。お好み焼はお店の場合大きな鉄板の上で作られることが多く、食べるのも鉄板の上が基本。できたてのお好み焼はかなり熱いので、水を飲んで口の中を冷やしながらゆっくり食べるとおいしい。
  *図は「広島のお好み焼き物語」(那須正幹著)より 著作権上の問題で図は略します。レポートでは問題なくてもWEBでは出せないこともあります。 
 3.成り立ち
  「広島のお好み焼き物語(那須正幹著)を要約すると以下のようになる。

 昭和初期、東京から広まったどんどん焼きが広島で一銭洋食として、駄菓子屋の店先やお祭りの屋台で子どもたち相手に売られていた。この一銭洋食がお好み焼の原型である(右 図は「続OCOLOGY」オタフクソースより)。当時、広島で売られていた一銭洋食というのは、どんなものだったのか。東京の方のどんどん焼は混ぜ焼きもあったらしいが、広島の 一銭洋食は重ね焼きだった。まず鉄板の上でクレープを焼き、この上にかつおぶしの粉(広鳥では魚粉と呼んでいた)、とろろこんぶ、きざみネギを乗せる。肉や天かすはもちろんキ ャベツなども現在のようにたくさんではなく、ほんの少しだけ。十分に焼きあがったら真ん中で半分に折って半月型にしてソースをぬってできあがり。
 昭和6年に起こった満州事変をきっかけに日本は中国と全面戦争に突入し、壮年の働き手が兵隊にとられ、戦死する人が出る中、留守を守る主婦たちがありあわせの家財道具を使って始められる簡単な商売が一銭洋食屋だったのだろう。
 さらに兵士たちの為に食糧などが必要となり物資が不足していき、米をほとんど食べることが出来なくなった中、小麦粉を使った一銭洋食が流行ったのは必然だったと考えられる。戦争が激化し日本中が戦争一色に染まる中、街角から一銭洋食の屋台が消え、駄菓子屋からも鉄板が消えていった。
 しかし戦後、昭和25年頃になると原爆で焼け野原だった広島の街も次第に活気を取り戻していった。街並みや道路が整備されるとそこに集まる人が増え、流川(ながれかわ)・新天地(しんてんち)といった盛り場にも飲食店が立ち並び、夜になると大勢の人が集まるようになった。当時、中央通り沿いにいろんな屋台が店を出し、お好み焼の屋台も何軒か開業していた。この頃のお好み焼は一銭洋食とは違い、大人相手だった為、豚肉と卵の入った肉玉(お好み焼のメニューの一つ)がメインだったようだ。最初はキャベツではなく市内の西部で栽培が盛んだったネギを使用していたが、やがてネギが値上がりしたため安価なキャベツに変更されたらしい。
 広島流お好み焼の特徴の一つである中華そばやうどんを入れ始めたのはいつのことなのか正確にはわからないが、当時の屋台ではお好み焼のほかに焼きそばも売っており、この二つをドッキングさせたものが昭和30年までには完成されていた。
 もう一つの特徴である主人自らがお客の目の前でお好み焼を作るというやり方も戦前の一銭洋食から受け継がれたものであり、さらには屋台ではお客に勝手に焼かせるだけのスペースがなかったからのようで、取り皿や割り箸を一切使わず、鉄板の上でヘラを使って食ペるというやり方も屋台の不便さから生まれたものだった。
 こうした屋台のお好み焼とは別に、市内の住宅地の中にも小さな店が生まれるようになった。これは戦前の子ども相手の一銭洋食の流れをくむ店らしい。特に市内の東南部にある段原(だんばら)や私の地元の宇品(うじな)といった、原爆で焼け残った古い町並みの中にお好み焼の店が開店しはじめたのも昭和25年代の半ばだった。これらの店は、屋台と違って女性の経営者が断然多かった。お好み焼屋は飲食業としては割と簡単に開店でき、修行を積む必要もなく鉄板と七輪があればできて、お客は持ち帰りか鉄板の上で食ペてくれるのでたくさんの食器もいらない。材料も小麦粉に野菜などごく一般的な食材なため仕入れに対する専門知識もいらない。なによりもいいのはお客は近所の人たちなので、接客に気を使うこともない。こうしたことから戦争や原爆で夫を亡くした女性たちにとってお好み焼屋は恰好な店だっただろう。

 昭和33年生まれの私の母も、小さい頃から近所のお好み焼屋によく行っていたようだ。祖母と一緒に行くこともあるが、小学生くらいになると子どもだけでお昼を食べに行くことが当たり前で、土曜日や夏休みなどは子どもたちがたくさん集まっていたらしい。高校生の頃は、土曜日のお昼には学校の近くのお好み焼き屋に友だちとよく行っていたそうだ。また、祖母はお好み焼き屋が近所の主婦たち(もちろん、店主も近所の主婦ということになる)とお昼が過ぎても世間話に花を咲かせていたと懐かしそうに話していた。このように、広鳥の人たちにとっては行きつけのお好み焼き屋が近所に必ずあるというものだった。

4.広島のお好み焼の今
 屋台店は戦後、道路沿いに店を並べていたが、交通の妨げになるということで市内の盛り場にある東新天地(ひがししんてんち)広場に集まり、昭和32年には西新天地(にししんてんち)広場に移転した。昭和39年に市役所や地元商店街により広場からしめ出され、市内に個人の店舗を持つか、農業するか、どちらかの決断をせまられた。こうした中で昭和44年に西新天地広場の南に店舗を作り、お好み焼屋ばかりが集まった「お好み村」が誕生した。今では、広島の人ばかりでなく、広島の観光地として観光客や修学旅行生で賑わっている。
 また、昭和39年に関西風のお好み焼店がオープンした。店の中は鉄板が組み込まれたテーブルがずらりと並び、お客が自分で焼いて食べるという全く新しい形のお好み焼店で、私の母や祖母たちにとってはかなりの驚きだったと聞いた。
 ごく最近の宇品は、戦後に開業した人たちが高齢のため廃業して、店舗数が減ったかといえばそうでもなくて、親の店を引き継いだり、子育てが一段落した主婦が新たに開店していたり、宅配のお好み焼き屋まで出現している。みねちゃんの店主峯川さんは、子育てが一段落してた10年前に働こうと思ったが年齢制限があって難しく、自宅でお好み焼き屋を開業したそうだ。
 この辺いわゆる聞き書き、聞き取りなので括弧でくくって○○さん談と、正確に聞き取った内容を書いておくと、フィールドワークの成果になる。
90歳近い祖母はごく近所のお好み焼き屋がなくなってから、スーパーの惣菜コーナーにもお好み焼きは並んでいるが、鉄板で焼いたものにはかなわないと、お好み焼きを食べる機会がなくなっていた。 ところが、宅配のお好み焼き屋のことを知っ て、最近では宅配のお好み焼き屋をよく利用している。峯川さんによると、ここ数年は、 町内に高層マンションが立ち並び、ショッピングセンターを始め大型の施設もたくさん進 出してきて、町全体が大きく変わり、子どもたちが近所のお好み焼き屋から消えていっているそうだ。

 5.おわりに
 広島のお好み焼きの歴史や現状を調べてみて、祖母や母の年代の人たちにとっては、お好み焼き屋は地域のコミュニティーの場としてなくてはならないもので、子どもたちが地域の中で育っていた様子がよくわかった。そして、子どもの頃から当たり前に食べてきたお好み焼きは、私を初め広島の人たちに深く染み込んでいる。また、他県の人も1度食べ たら、あの独特の甘辛いソースが病みつきになるようで、地元のプロサッカーチーム「サ ンフレッチェ」の佐藤寿人選手(埼玉県出身)もその一人だ。2005年に広島に移籍してきて以来、お好み焼きにはまった一人で、その公式プログにも 「お好み焼きは週1で食べないと禁断症状が…(笑)」 とよく書いている。
このブログ記事も聞き取りに準ずる資料なので、一例として全文引用しておくとよい。
広島の人間にとってお好み焼きは世代を超えて愛されていて、たとえ子どもがお好み焼き屋から離れていっている現在であって も、お好み焼き自体からは遠のいていないと考える。きっとこれからも数世代にわたってお好み焼きは愛され続けるだろう。
 冒頭の写真を撮影して歩いたことも含めて、立派な都市文化のフィールドワーク・レポートになっています。
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